“宮城に一番近い神社”湯島・亀戸と比肩する、江戸を代表する平河天神
[住所]東京都千代田区平河町1-7-5
[電話]03-3264-3365

平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)は、東京都千代田区平河町にある神社。平河天神としてしられ、麹町(糀町)の天神、平川とも記載される。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は菅原道真。徳川時代に八幡宮(誉田別命)と東照宮(徳川家康)を相殿に祀った。東京の天神さま32社の一社。

いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当宮は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に、湯島天満宮亀戸天神社という東京を代表する天神とともにすべて記載されるわずか三社のうちの一社。

東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
『武陽菅原詣』収録の天神
東都七天神(『菅神御一代文章』)
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

江戸三大天神とした場合、湯島天満宮、亀戸天神社、谷保天満宮の三つを挙げる場合が多い.

しかし、保谷天満宮の立地を考えれば、この三社はやはりよく言われる関東三大天神とした方が良く、江戸と限定した場合、湯島、亀戸と比肩できるのは本来当宮であり、当宮自身、江戸三大天神の一社としている。

江戸平河城主太田道灌公が城内の北坂梅林坂上に文明10年(1478年)、江戸の守護神として創祀された。

6月25日、菅原道真の誕生日に合わせて上棟したことが棟札から明らかになっている。『梅花無尽蔵』に詳細が記される。

太田道灌没後の天正18年(1590年)、徳川家康が江戸城に入城、本丸修築のため平河門外に奉遷。

慶長12年(1607年)、二代将軍秀忠により、貝塚(現在地)に奉遷されて当地名を当宮にちなみ平河町と名付けた。

宮城に一番近い神社となり、徳川幕府をはじめ紀州、尾張両徳川家、井伊家などの祈願所となり、新年の賀礼に宮司は将軍に拝謁できる格式の待遇を受けた。

また学問に心を寄せる人々古来深く信仰し、名高い盲学者塙保己一、蘭学者高野長英の逸話は今日にも伝えられている。

明治になり、一時期は平河神社とも。戦後、昭和48年(1973年)に現社号に復す。遷座以降に限っても、火災による十数度の類焼の難をこうむった。

大正12年(1923年)の関東大震災では一宇残さず烏有に帰した。

銅鳥居は天保15年(1844年)12月の氏子による奉納。現存するものでは区内最古の鳥居。狛犬は享和元年(1801年)に奉納され、嘉永5年(1852年)に再建されたもの。

同じ嘉永5年には撫で牛も奉納されている。縁結びの梅でも知られ、梅の名所。

【ご利益】
学問、医学・芸能、商売繁盛、縁結び(公式HP
平河天満宮 - “宮城に一番近い神社”湯島・亀戸と比肩する、江戸を代表する平河天神
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