【日刊】日本の城
名称:府内城(ふないじょう)
別称:大分城、大分府内城、荷揚城、白雉城

史跡:県の史跡
国宝:-
重文:-

住所:大分県大分市荷揚町4
電話:097-534-6111
日本100名城:第94番
  - スタンプ:大分城址公園内、文化会館北西側の事務所2階出入り口

府内城(ふないじょう)は、豊後国(今の大分県大分市)にあった、江戸期には府内藩2万1000石の藩庁などにも機能した日本の城である。

築城年は1597年であり、廃城年は1872年である。天守の築造年は1607年で、4重、形式は不明、非現存である。主な築城者は福原直高で、主な改修者は竹中重利である。

大分市街の中心に位置する梯郭式平城である。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5000石で入封した竹中重利が完成させた。

明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、堀の一部が埋め立てられた。さらに第二次世界大戦時の大分空襲により櫓が数棟焼失した。

現在、城跡は大分城址公園となっている。本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定されている。また、三棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されており、三の丸跡には、大分県庁・大分市役所などがある。

西丸跡には1966年に大分文化会館が建てられたが、2013年10月に閉館した。跡地の利用方法は未定で、城址公園も含めて今後検討される。

なお、大分市は1993年に、大分文化会館を解体した後の構想として、中期的に発掘調査、城内整備を行った後、長期的には天守閣再建を含めた府内城の復元を行うとする府内城整備基本構想を策定しているが、経済情勢の変化等のために実現の目途は立っていない。
府内城 豊後国(大分県大分市) - サムネイル写真
【関連サイト】
[大分市]府内城 [県史跡および市史跡] - 大分市ホームページ