現在も活きる「北舘大堰」を完成させた最上義光の家臣・北楯大学助利長を祀る
[住所]山形県東田川郡庄内町狩川字笠山400
[電話]0234-56-2709
北舘神社(きただてじんじゃ)は、山形県東田川郡庄内町にある神社。近代社格では郷社、現在は神社本庁の別表神社。山形藩最上家、最上義光の家臣だった北楯大学助利長を祭神とし、大学様と通称される。参拝すれば、御朱印を頂けるが、事前の電話などの連絡が必要。
北舘大学助利長は慶長6年(1601年)に楯山城主となり、庄内平野東部一帯の灌漑を計画、慶長17年(1616年)に灌漑水路を完成させた。
この用水路は「北舘大堰」と呼ばれ、現在でも庄内平野東部の重要な水路となっている。
利長が歿した寛永2年(1625年)の153年後に当たる安永7年(1778年)、この水路の恩恵に与る住民たちが、利長の功績を賛えて狩川八幡宮の境内に利長を祀る祠を設け、「北舘水神社」と称した。
大正8年(1919年)、社殿を楯山城跡に遷して独立の神社となり、現社号に改称した。大正11年(1922年)に郷社に列す。
戦後の昭和36年(1961年)に神社本庁の別表神社となった。昭和36年竣工の海上自衛隊の護衛艦「もがみ」には、当社の分霊が守護神として祀られていた。昭和48年(1973年)現在地の笠山に新社殿を造営し遷座した。
平成18年(2006年)、北楯大堰が農水省主催の疏水百選に認定された。平成24年(2012年)には、北楯大堰の開削400年を祝う祭典が行われた。
海上自衛隊の護衛艦(退役)「もがみ」の艦内神社に分祀していたという。
月次祭は7月-12月の第1日曜日午前10時(受付は9時から)からのものであれば、一般参列ができる。祭典後の直会では、社務所でお下がりの菓子とお茶をいただきながら宮司と語らうことができる。
【ご利益】
五穀豊穣、財運、家内安全、リフレッシュなど(公式HP)

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[電話]0234-56-2709
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北舘大学助利長は慶長6年(1601年)に楯山城主となり、庄内平野東部一帯の灌漑を計画、慶長17年(1616年)に灌漑水路を完成させた。
この用水路は「北舘大堰」と呼ばれ、現在でも庄内平野東部の重要な水路となっている。
利長が歿した寛永2年(1625年)の153年後に当たる安永7年(1778年)、この水路の恩恵に与る住民たちが、利長の功績を賛えて狩川八幡宮の境内に利長を祀る祠を設け、「北舘水神社」と称した。
大正8年(1919年)、社殿を楯山城跡に遷して独立の神社となり、現社号に改称した。大正11年(1922年)に郷社に列す。
戦後の昭和36年(1961年)に神社本庁の別表神社となった。昭和36年竣工の海上自衛隊の護衛艦「もがみ」には、当社の分霊が守護神として祀られていた。昭和48年(1973年)現在地の笠山に新社殿を造営し遷座した。
平成18年(2006年)、北楯大堰が農水省主催の疏水百選に認定された。平成24年(2012年)には、北楯大堰の開削400年を祝う祭典が行われた。
海上自衛隊の護衛艦(退役)「もがみ」の艦内神社に分祀していたという。
月次祭は7月-12月の第1日曜日午前10時(受付は9時から)からのものであれば、一般参列ができる。祭典後の直会では、社務所でお下がりの菓子とお茶をいただきながら宮司と語らうことができる。
【ご利益】
五穀豊穣、財運、家内安全、リフレッシュなど(公式HP)

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