源頼義が安倍貞任討伐を祈願し、成就によって創建した武門吉事の宮
[住所]山形県山形市宮町3-8-41
[電話]023-623-0460

鳥海月山両所宮(ちょうかいがっさんりょうしょのみや)は、山形県山形市宮町にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。別称は「吉事宮」「武門吉事宮」。参拝すれば、御朱印を頂ける。

鳥海山(鳥海山大物忌神社)の神である倉稲魂命と、月山(出羽三山月山神社)の神である月夜見命を祀る。

社伝では、源頼義が安倍貞任討伐にあたって飽海郡吹浦の鳥海山両所神社で鳥海・月山の両神に戦勝祈願に戦勝を祈願し、勝利したので、康平6年(1063年)、その報賽として最上郷山形に社殿を造営して分霊を勧請、国家泰平・武門吉事の神と称したのに始まると伝える。

天正年間(1573年-1591年)、当地の領主・最上義光は、従来の祠官を廃して真言宗成就院を別当と定め、社領を寄進した。以降、最上氏の崇敬社となり、江戸時代には歴代山形藩主の鳥居氏・水野氏の崇敬を受けた。

江戸期には別当である成就院(560石)の他、その輩下に社陣21人(129石)があり、別に天台三ヶ寺として、如法堂(68石)、護摩堂(85石)、内御堂(50石)が、両所宮に奉仕した。その総石高全てが当宮の歳入とは考えられないものの、かなりの規模に達することは間違いない。

本殿は義光の時代に大修理が加えられたが、寛永年間(1624年-1645年)に焼失し、享保年間(1716年-1735年)に再建されたものという。

明治6年(1873年)に郷社に列し、明治12年(1879年)8月に県社に昇格。戦後の昭和36年(1961年)に別表神社に加列された。例祭は8月1日。

特殊神事として「ごくだめし(穀様)」がある。これは、旧暦7月1日早朝に飯・胡瓜・茄子・粟穂・稲穂を紙に包んで土中に埋め、翌年の旧暦6月末日に掘り出して豊凶を占うものである。

境内の金井の泉は、金井の庄の起源とされ、また、金売吉次の金洗いの井戸とも伝えられている。

入口の山門は、天明3年(1783)6月の建立で、高荘な楼門であり、現在は随神門と称される。また、境内の城輪神社の社殿は、桃山時代の作。本社本殿含めて、いずれも市の有形文化財に指定されている。

直近の数値ではないが、平成21年(2009年)において、初詣の参拝客は11万人。山形県内で10万人を超えるのは当社と、参拝客が最も多いとされる山形県護国神社のみ。

【ご利益】
厄除け、勝運、武芸上達、開運、家内安全など
鳥海月山両所宮 - 源頼義が安倍貞任討伐を祈願し、成就によって創建した武門吉事の宮
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鳥海月山両所宮の御朱印