重文の「長床」拝殿と大イチョウで知られる、源頼義・義家ゆかりの古社
[住所]福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
[電話]0241-23-0775

新宮熊野神社(しんぐうくまのじんじゃ)は、福島県喜多方市慶徳町にある神社。近代社格では県社。国の重要文化財に指定されている熊野神社長床と呼ばれている拝殿があることで有名で、その前にある高さ30メートル、樹齢600年といわれる大イチョウが名物。参拝すれば、「長床」などと入った御朱印を頂ける。

平安時代後期の天喜3年(1055年)、前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(現 福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであると言われる。

その後、寛治3年(1089年)、後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したという。

この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(現 喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(現 喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営したが、後年、この二社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の三社が祀られている。

御祭神は熊野三山とされ、家都御子神(熊野本宮大社)、熊野速玉大神(熊野速玉大社)、熊野夫須美大神(熊野那智大社)となる。

最盛期には300余の末社や寺院・霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいたというが、12世紀末に越後の城長茂の押領により一時衰退した。

その後、源頼朝によって200町歩の領田を与えられて再び勢力を取り戻した。奥州合戦後に会津を与えられた佐原義連の孫・時連は、当社の北東に新宮城を築いて新宮氏を名乗り、以後約200年間会津盆地北西部(現 喜多方市一帯)を支配することとなった。

新宮氏は当社を守護神として崇め、多くの神器を寄進し、当社の保護に努めた。新宮氏が蘆名氏に滅ぼされると、後ろ盾を失ったことから当社は衰退していき、16世紀後半になると戦乱に巻き込まれた影響もあって、社殿は荒れ果てたものになっていたという。

慶長年間(1596年-1615年)に入り、蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給され、会津松平氏時代は祈願所とされ、度々藩主の代参が行われた。しかし、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊してしまった。

その後、慶長19年(1614年)、蒲生忠郷によって旧材を用いてかつてのものよりも一回り小さい拝殿が再建された。これが現在の長床である。寄棟造、茅葺、正面9間、側面4間。形式・技法から平安時代末期から鎌倉時代初期の建立と考えられている。

国の重要文化財に指定された後、昭和46年から3年かけて解体修理復元工事が行われ、かつての姿に復元された。長床の平面は、間口27メートル・奥行12メートルの長方形で、直径1尺5寸(45.4センチ)の円柱44本が10尺(3.03メートル)の間隔で10列×5列に並ぶ。

明治時代初めに廃仏毀釈のあおりを受けて多くの仏像や文化財が失われてしまったが、当社は存続し、現在は当社近辺の集落住民で結成された保存会によって維持管理されている。

大イチョウは市の天然記念物に指定されている。秋には色づき、その圧倒的な存在感によって、それ単体だけでも、当社は紅葉の名所としても知られている。ライトアップもある。11月中旬が見頃。

【ご利益】
リフレッシュ、縁結び、家内円満、病気平癒など
新宮熊野神社 - 重文の「長床」拝殿と大イチョウで知られる、源頼義・義家ゆかりの古社
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