秋田藩主が戊辰官軍戦没者を祀ったのが起源、天皇皇后両陛下の親拝も
[住所]秋田県秋田市寺内大畑5-3
[電話]018-845-0337

秋田県護国神社(あきたけんごこくじんじゃ)は、秋田県秋田市、秋田城跡にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は神社本庁の別表神社全國護國神社會の一社。秋田県下の戦没者および伊弉諾尊伊弉冉尊を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

明治2年(1869年)、秋田藩主佐竹義堯が戊辰戦争に殉じた官軍戦没者425柱を高清水丘に祀ったのが起源である。

明治26年(1893年)に焼失するが、明治32年(1899年)、秋田市千秋公園(久保田城址)に再建され、秋田県出身の軍人・軍属を合祀して秋田招魂社と称した。

昭和14年(1939年)、内務大臣指定護国神社として現社号に改称、翌年、旧秋田城址である現在地に遷座した。

第二次大戦後の一時期、「軍国主義施設」として廃止されるのを防ぐ目的で、鎮座地名に因んで高清水宮と称し、伊弉諾尊・伊弉冉尊を合祀して、こちらが主祭神ということにした。

戦後は県に関係した軍人、軍属の霊を合祀している。現在、ほとんどの戦没者の合祀が完了し、御祭神の数は3万8000余柱となる。

昭和44年(1969年)8月26日には昭和天皇、皇太后陛下、同45年(1970年)10月26日には今上天皇皇后両陛下の親拝があり、常陸宮はじめ各宮の参拝も多数。

平成2年(1990年)7月9日、即位の礼に反対する過激派により当社社殿にしかけられた二つの時限爆弾が爆発し、社殿は全焼した。

動機として、大嘗祭のための神饌を収獲する神田が秋田県内に選定されていたことが関係していると見られている。

しかし、本殿内に安置されていた御神体および霊璽簿は無傷であった。社殿は平成4年(1992年)9月に再建された。

例祭は春季が4月29日、秋季が10月24日。桜の名所とも知られ、春季例大祭の頃、ちょうど満開、見頃を迎える。

【ご利益】
地域の戦没者の慰霊、地域及び国内、世界平和
秋田県護国神社 - 秋田藩主が戊辰官軍戦没者を祀ったのが起源、天皇皇后両陛下の親拝も
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