「千葉のお伊勢さん」船橋大神宮、ヤマトタケル創建、けんか相撲や灯明台
[住所]千葉県船橋市宮本5-2-1
[電話]047-424-2333
意富比神社(おおひじんじゃ)は、千葉県船橋市宮本にある神社。いわゆる船橋大神宮で、「千葉のお伊勢さん」として親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 葛餝郡「意富比神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
御祭神は天照皇大御神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する。徳川家康、徳川秀忠も合祀している。
社伝では、第12代景行天皇40年、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。
当時、当地の住民は日照りに苦しんでおり、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝える。
もともと同社では地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、特に周辺(東京湾)の漁民の信仰を集めていた。
国史の初見は『日本三代実録』の貞観5年(863年)5月26日条。
後にこの一帯が伊勢の神宮(伊勢神宮)に寄進されて御厨(夏見御厨。船橋御厨ともいう)となり、その守護として伊勢神宮の祭神である天照大神を祀る神明社が現在の夏見台の日枝神社に建立された。
しかし、御厨の衰退とともに神明社も廃れ、意富比神社に合祀された。
その後、天照皇大神に対する信仰の方が強くなり、次第に正式社名は忘れられ、もっぱら船橋神明・船橋大神宮と呼ばれるようになった。
朝廷・将軍家などから崇敬を受け、平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。境内にある常盤神社には家康の歯を納めた家康木造が安置されている。
戦国時代までは、この地域で、勢力を保っていた千葉氏系の豪族富氏が宮司を務めている。現在でも千葉姓に改名し、同族が宮司を務めている。
中世の文書が多数保持されていたが、明治維新時における船橋の戦いで社殿と共に焼失、現存しているのは、千葉満胤の書状や「船橋御厨六ケ郷田数之事」という応長年間(1311年)の文書など数点のみ。
明治5年(1872年)に県社に列格し、式内社名の現社号に復した。明治6年(1874年)に本殿、明治22年(1889年)には、拝殿が再建された。
近代では明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
灯明台が千葉県有形民俗文化財に指定されている。境内東方の丘に立てられている木造瓦葺、3階建てで高さ12メートル程度。
明治13年(1880)、地元の漁業関係者によって建設された。普段は非公開だが、正月三が日は公開。
当社オリジナル御朱印帳は二代安藤広重(歌川広重)によるこの灯明台や境内の様子を描いた作品をあしらったもの。
例祭は10月20日。その奉納相撲の歴史は古く、天正18年(1590年)に行われた徳川家康の上覧相撲に起源を持つ。その荒々しさから、「船橋のけんか相撲」として、関東一円に名を知られた。
常盤神社のほか、境内社に当社創建に関わった日本武尊を御祭神とする大鳥神社がある。
例年12月の酉の日、壱之酉、弍之酉が例祭日で、境内は酉の市として賑わい、「船橋のお酉様」として親しまれている。
高根町の神明社など、兼務神社は多数。
なお、横浜市西区の伊勢山皇大神宮や埼玉県所沢市の所澤神明社は「関東のお伊勢さま」とされ、東京都港区の芝大神宮は「関東のお伊勢様」と呼ばれる。
【ご利益】
所願成就、開運、武運長久など(公式HP)

【関連記事】
・『日本の神社全国版(94) 2015年 12/1 号 [雑誌]』 - 麻生うる下総の地に広がった信仰
・千葉県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
[電話]047-424-2333
意富比神社(おおひじんじゃ)は、千葉県船橋市宮本にある神社。いわゆる船橋大神宮で、「千葉のお伊勢さん」として親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 葛餝郡「意富比神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
御祭神は天照皇大御神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する。徳川家康、徳川秀忠も合祀している。
社伝では、第12代景行天皇40年、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。
当時、当地の住民は日照りに苦しんでおり、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝える。
もともと同社では地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、特に周辺(東京湾)の漁民の信仰を集めていた。
国史の初見は『日本三代実録』の貞観5年(863年)5月26日条。
後にこの一帯が伊勢の神宮(伊勢神宮)に寄進されて御厨(夏見御厨。船橋御厨ともいう)となり、その守護として伊勢神宮の祭神である天照大神を祀る神明社が現在の夏見台の日枝神社に建立された。
しかし、御厨の衰退とともに神明社も廃れ、意富比神社に合祀された。
その後、天照皇大神に対する信仰の方が強くなり、次第に正式社名は忘れられ、もっぱら船橋神明・船橋大神宮と呼ばれるようになった。
朝廷・将軍家などから崇敬を受け、平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。境内にある常盤神社には家康の歯を納めた家康木造が安置されている。
戦国時代までは、この地域で、勢力を保っていた千葉氏系の豪族富氏が宮司を務めている。現在でも千葉姓に改名し、同族が宮司を務めている。
中世の文書が多数保持されていたが、明治維新時における船橋の戦いで社殿と共に焼失、現存しているのは、千葉満胤の書状や「船橋御厨六ケ郷田数之事」という応長年間(1311年)の文書など数点のみ。
明治5年(1872年)に県社に列格し、式内社名の現社号に復した。明治6年(1874年)に本殿、明治22年(1889年)には、拝殿が再建された。
近代では明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
灯明台が千葉県有形民俗文化財に指定されている。境内東方の丘に立てられている木造瓦葺、3階建てで高さ12メートル程度。
明治13年(1880)、地元の漁業関係者によって建設された。普段は非公開だが、正月三が日は公開。
当社オリジナル御朱印帳は二代安藤広重(歌川広重)によるこの灯明台や境内の様子を描いた作品をあしらったもの。
例祭は10月20日。その奉納相撲の歴史は古く、天正18年(1590年)に行われた徳川家康の上覧相撲に起源を持つ。その荒々しさから、「船橋のけんか相撲」として、関東一円に名を知られた。
常盤神社のほか、境内社に当社創建に関わった日本武尊を御祭神とする大鳥神社がある。
例年12月の酉の日、壱之酉、弍之酉が例祭日で、境内は酉の市として賑わい、「船橋のお酉様」として親しまれている。
高根町の神明社など、兼務神社は多数。
なお、横浜市西区の伊勢山皇大神宮や埼玉県所沢市の所澤神明社は「関東のお伊勢さま」とされ、東京都港区の芝大神宮は「関東のお伊勢様」と呼ばれる。
【ご利益】
所願成就、開運、武運長久など(公式HP)

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