読み:はぐろさんごじゅうのとう
員数:1基
種別:建造物の部 近世以前/寺院
時代:室町前期 応安5年(1372年)
重文:1908.04.23(明治41.04.23)
国宝:1966.06.11(昭和41.06.11)
都道府県:山形県
所在地:鶴岡市羽黒町大字手向
所有者:月山神社、出羽神社、湯殿山神社
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羽黒山五重塔は修験道で名高い出羽三山月山神社出羽神社湯殿山神社)の一つ、羽黒山(出羽神社)中にあって、山上の合祭殿へ至る参道脇の杉木立のなかにひっそりと建っている。

現在は出羽三山神社の所有であるが、明治の神仏分離以前は数多い寺院の一つ、滝水寺に属していたもので、周辺には多くの堂舎が建っていたという。

慶長13年(1608年)、山形藩主最上義光が修理した時の棟札に、応安2年(1369年)柱立、永和3年(1377年)九厘上とあり、建立年代が知られる。

伝統的な純和様の手法をもち、装飾は一切つけず、総体に古式である。ただし、組物のうち、軒支輪が上部の反転したS字形となるのは新しい手法で、この種のものとしては明王院五重塔とともに最も古い。

柱間寸法は初重の各間を尺寸の完数値とし、その総間の7割を五重にとり、二重から四重はその間を均等に逓減させたものらしく、枝割によらない古式な決め方がされている。

そのため一枝寸法は各重各間で異なり、初重中央間の枝割に合わせて割りつけられた組物は、他の間では六枝掛にならない。

一方、全体の格好をみると相輪長が総高の2割5分しかなくてかなり短く、近世の塔の比例に似ている。しかし、相輪は全体が慶長修理で改鋳されており、当初の高さを伝えているのかどうか明らかではない。

都から遠く離れた奥羽の地にありながら、様式手法は洗練されていて地方作の色合いは薄い。中世の羽黒修験道が中央とつながりをもっていたことを示す遺構といえよう。
国宝「羽黒山五重塔」(山形県鶴岡市) 
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