700年の伝統ある御田と、600年の「カッコスリ」を今に伝える古社
[住所]京都府南丹市日吉町田原宮ノ前1
[電話]0771-73-0023
多治神社(たじじんじゃ)は、京都府南丹市日吉町田原宮ノ前1にある神社。『延喜式神名帳』にある「多沼神社(丹波国・船井郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
御祭神は、大山咋神、天太玉命。国の重要無形民俗文化財に指定されている「田原の御田」が有名。御朱印の有無は不明。
社伝では、奈良時代前期の慶雲年間(704年-707年)、天智天皇第三皇子である田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)による創建とされ、多治大明神と称したという。
鎮座地の集落名が「田原郷」であることから「多治」の字があてられたと考えられているが、鎌倉時代の乾元元年(1302年)の棟札には「多沼大明神」の記載があり、古くは式内社名通り「多沼」と称した。
明治10年(1877年)、郷社に列した。
参道から本殿裏までの境内一帯は文化財環境保全地区に指定されており、清流深山川を巧みに利用し、南側には巨大な岩盤が露出している。
本殿前には樹高約16メートルのタラヨウの高木二本があり神々しさをかもしだしている。
本殿はこれまで四度建て替えられており、現在の本殿は江戸時代の宝暦5年(1775年)、播州の宮大工室田仁左衛門の手による。建築様式は二間社流造で、この種のものでは丹波地区で最大級である。
「田原の御田」は、鎌倉時代後期の徳治2年(1306年)、豊作祈願の奉納神事として始まり、毎年5月3日祭典執行後に奉納される。
毎年10月15日までの近い土曜日の宵宮祭直後と翌日の例祭直後、および神輿渡御の間2回奉納される「カッコスリ」は府の無形民俗文化財。
室町時代初期の応永21年(1414年)、豊作感謝の奉納神事として始まったもの。
町の文化財として、御輿二基がある。江戸時代後期の弘化2年(1845年)、氏子の寄進で京の宮大工吉野屋甚之凾の手により製作されたもので、費用は45両だったという。
【ご利益】
方除け、厄除け、縁結び、家内安全、産業振興・商売繁盛など
【関連記事】
・重要無形民俗文化財「田原の御田」 - 狂言的な即興セリフで進行する予祝行事
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
[電話]0771-73-0023
多治神社(たじじんじゃ)は、京都府南丹市日吉町田原宮ノ前1にある神社。『延喜式神名帳』にある「多沼神社(丹波国・船井郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
御祭神は、大山咋神、天太玉命。国の重要無形民俗文化財に指定されている「田原の御田」が有名。御朱印の有無は不明。
社伝では、奈良時代前期の慶雲年間(704年-707年)、天智天皇第三皇子である田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)による創建とされ、多治大明神と称したという。
鎮座地の集落名が「田原郷」であることから「多治」の字があてられたと考えられているが、鎌倉時代の乾元元年(1302年)の棟札には「多沼大明神」の記載があり、古くは式内社名通り「多沼」と称した。
明治10年(1877年)、郷社に列した。
参道から本殿裏までの境内一帯は文化財環境保全地区に指定されており、清流深山川を巧みに利用し、南側には巨大な岩盤が露出している。
本殿前には樹高約16メートルのタラヨウの高木二本があり神々しさをかもしだしている。
本殿はこれまで四度建て替えられており、現在の本殿は江戸時代の宝暦5年(1775年)、播州の宮大工室田仁左衛門の手による。建築様式は二間社流造で、この種のものでは丹波地区で最大級である。
「田原の御田」は、鎌倉時代後期の徳治2年(1306年)、豊作祈願の奉納神事として始まり、毎年5月3日祭典執行後に奉納される。
毎年10月15日までの近い土曜日の宵宮祭直後と翌日の例祭直後、および神輿渡御の間2回奉納される「カッコスリ」は府の無形民俗文化財。
室町時代初期の応永21年(1414年)、豊作感謝の奉納神事として始まったもの。
町の文化財として、御輿二基がある。江戸時代後期の弘化2年(1845年)、氏子の寄進で京の宮大工吉野屋甚之凾の手により製作されたもので、費用は45両だったという。
【ご利益】
方除け、厄除け、縁結び、家内安全、産業振興・商売繁盛など
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