赤塚たんぼと呼ばれる穀倉地帯の鎮守で田遊びが有名な東京・板橋の古社
[住所]東京都板橋区大門11-1
[電話]03-3938-6400

赤塚諏訪神社(あかつかすわじんじゃ)は、東京都板橋区大門にある神社。近代社格では村社。御祭神は建御名方神

田遊びが有名で、「板橋の田遊び」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。田遊びが行われる祭礼日付近であれば、「田遊び」と入った御朱印がある。

創建年代は不詳であるが、赤塚の領主千葉介自胤が、長禄年間(1457年-1460年)に信濃国の諏訪大社を勧請し、武運長久を祈願したと伝えられる。

その後、寛永7年(1630年)頃に十羅刹女を配祀したが、明治期の神仏分離の際これを廃した。

江戸時代の江戸名所図会には「田遊び」神事が記載されている。田遊びは、水田耕作にかかわる神事で、年の始めにあたりその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る「予祝」の祭りである。

毎年2月13日(旧暦の正月13日)の夜に行われ、本殿と大鳥居間の朝輿の渡御の後、社殿に設けた「もがり」の中で1年間の農耕行事が所作と唱言によって象徴的に演じられている。

周辺一帯は江戸期に大きく開発された穀倉地帯で、正保年間(1644年-1648年)には4900俵(294トン)が収穫されたと記録に残る。

明治期により一層の開拓が進められ、大正5年には1万4000俵(840トン)の収穫があった。一般には「赤塚たんぼ」と呼ばれる。

こうした立地や伝統に支えられた当社の「田遊び」は、徳丸北野神社の田遊びとともに国の重要無形民俗文化財に指定された。

大獅子・女獅子・中獅子からなる三頭立ちの獅子舞が伝わる。江戸時代前期の延宝年間(1673年-1680年)、下赤塚村の春日太郎兵衛が日光から伝えたものとされる。

そもそもは、村内をめぐって舞い演じる「辻舞」に特徴があった。現在では当社や近隣神社の例祭で奉納され、地域の五穀豊穣や悪魔退散が祈願される。

「赤塚諏訪神社獅子舞」として区の無形民俗文化財に指定されている。また、延宝年間作とされる獅子頭などの用具類についても、区有形民俗文化財に登録されている。

境内社に大国神社、稲荷神社、薬師神社、秋葉神社、水神宮がある。また、樹高約20メートルの夫婦イチョウがある。

【ご利益】
国土安寧、五穀豊穣、身体壮健、夫婦和合、子孫繁栄
赤塚諏訪神社 - 赤塚たんぼ、1000年超の田遊びの伝統を脈々と伝える東京・板橋の古社
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赤塚諏訪神社の御朱印