三嶋大社の御子神を祀る、伊豆諸島わずか二社の名神大社のうちの一社
[住所]東京都神津島村41
[電話]04992-8-0193
物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ)は、東京都神津島村にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「物忌奈命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では府社。
神津島の鎮守で前浜集落北部の丘上に鎮座する。御祭神は物忌奈命(ものいみなのみこと)。
『続日本後紀』によると、三嶋神(伊豆国一宮の三嶋大社御祭神)とその本后の阿波咩命(阿波命神社御祭神)の間の御子神という。
創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』の承和7年(840年)における記事。
上津島(神津島)に坐す神は阿波神は三嶋大社本后である旨、物忌奈乃命はその御子神である旨、そしてこの神々のため神宮四院が新たに造営された旨が記載されている。
同記事では、続いて神院の様子が描写される。
そして、去る承和5年(838年)7月5日夜に神津島で激しい噴火が発生したといい、占いの結果、それは三嶋大社の後后が位階を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神には沙汰がないことに対する怒りによるものだと見なされた。
同記事にある「後后」とは、静岡県下田市の伊古奈比咩命神社御祭神を指すとされており、先の天長9年(832年)には三嶋神・伊古奈比咩命両神を名神に預けるという記事が載っている。
上記の承和7年の記事を受けて、約1ヶ月後に阿波神・物忌奈乃命両神の神階は無位から従五位下に昇った。
その後はいずれも阿波咩命とともに、嘉祥3年(850年)に従五位上、同年には官社に列し、仁寿2年(852年)には正五位下に昇った。
『延喜式神名帳』では名神大社に列したが、これは伊豆諸島の中では当社と阿波命神社のみ。
近世には「定大明神」とも呼称された。明治11年(1878年)9月1日、伊豆七島が静岡県より東京都に所轄替えとなった際に府社に列した。
平成12年(2000年)7月1日の地震による地滑りで本殿が、その数日後の台風による地滑りで社務所が倒壊した。その後、社務所・本殿とも再建された。
本殿は覆堂の形式で、御神体を祀る中宮を内蔵している。この中宮は旧本殿で、文化7年(1810年)の造営、高さ5メートル余りの入母屋造で、様式・彫刻等各所に優れた技法が見られる。
覆殿(本殿)・拝殿も古く貴重なもので、村の有形文化財に指定されている。
また、境内には神仏習合の名残りで、薬師如来を安置する薬王殿がある。境内社に、三島神社、八幡神社、春日神社、新宮、天満宮、津島神社、阿波島神社、唯根島神社がある。
榎木が沢には当社の弟神に相当する日向神社(ひゅうがじんじゃ)が鎮座する。『三宅記』に見える「長浜の御前」(阿波命神社)の次子「たふたい王子」。
例祭は、8月1日・2日に行われる。古くは旧暦6月の酉日に行われたという。8月2日の祭典後には、境内においてかつお釣り神事が行われる。
「神津島のかつお釣り行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
二十五日神事が旧暦1月24日から2日間行われる。一般には「二十五日様」とも。
神事では、24日の日没後に宮司・4人の祝(祭員)が集まり、一同で境内各所で拝礼したのち、海浜に下り祭場を築いて拝礼する。その夜、島民は物忌に入り、外出を控えることとされている。
【ご利益】
大漁満足、海運安全、開運成就
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[電話]04992-8-0193
物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ)は、東京都神津島村にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「物忌奈命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では府社。
神津島の鎮守で前浜集落北部の丘上に鎮座する。御祭神は物忌奈命(ものいみなのみこと)。
『続日本後紀』によると、三嶋神(伊豆国一宮の三嶋大社御祭神)とその本后の阿波咩命(阿波命神社御祭神)の間の御子神という。
創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』の承和7年(840年)における記事。
上津島(神津島)に坐す神は阿波神は三嶋大社本后である旨、物忌奈乃命はその御子神である旨、そしてこの神々のため神宮四院が新たに造営された旨が記載されている。
同記事では、続いて神院の様子が描写される。
そして、去る承和5年(838年)7月5日夜に神津島で激しい噴火が発生したといい、占いの結果、それは三嶋大社の後后が位階を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神には沙汰がないことに対する怒りによるものだと見なされた。
同記事にある「後后」とは、静岡県下田市の伊古奈比咩命神社御祭神を指すとされており、先の天長9年(832年)には三嶋神・伊古奈比咩命両神を名神に預けるという記事が載っている。
上記の承和7年の記事を受けて、約1ヶ月後に阿波神・物忌奈乃命両神の神階は無位から従五位下に昇った。
その後はいずれも阿波咩命とともに、嘉祥3年(850年)に従五位上、同年には官社に列し、仁寿2年(852年)には正五位下に昇った。
『延喜式神名帳』では名神大社に列したが、これは伊豆諸島の中では当社と阿波命神社のみ。
近世には「定大明神」とも呼称された。明治11年(1878年)9月1日、伊豆七島が静岡県より東京都に所轄替えとなった際に府社に列した。
平成12年(2000年)7月1日の地震による地滑りで本殿が、その数日後の台風による地滑りで社務所が倒壊した。その後、社務所・本殿とも再建された。
本殿は覆堂の形式で、御神体を祀る中宮を内蔵している。この中宮は旧本殿で、文化7年(1810年)の造営、高さ5メートル余りの入母屋造で、様式・彫刻等各所に優れた技法が見られる。
覆殿(本殿)・拝殿も古く貴重なもので、村の有形文化財に指定されている。
また、境内には神仏習合の名残りで、薬師如来を安置する薬王殿がある。境内社に、三島神社、八幡神社、春日神社、新宮、天満宮、津島神社、阿波島神社、唯根島神社がある。
榎木が沢には当社の弟神に相当する日向神社(ひゅうがじんじゃ)が鎮座する。『三宅記』に見える「長浜の御前」(阿波命神社)の次子「たふたい王子」。
例祭は、8月1日・2日に行われる。古くは旧暦6月の酉日に行われたという。8月2日の祭典後には、境内においてかつお釣り神事が行われる。
「神津島のかつお釣り行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
二十五日神事が旧暦1月24日から2日間行われる。一般には「二十五日様」とも。
神事では、24日の日没後に宮司・4人の祝(祭員)が集まり、一同で境内各所で拝礼したのち、海浜に下り祭場を築いて拝礼する。その夜、島民は物忌に入り、外出を控えることとされている。
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コメント
コメント一覧 (1)
式内名神大社、東京都では神津島の二社のみとのことですが?