読み:あおいあそじんじゃほんでん、ろう、へいでん、はいでん、ろうもん
員数:5棟
種別:建造物の部 近世以前/神社
時代:桃山 慶長15年-18年(1610年-1613年)
重文:1933.01.23(昭和8.01.23)
国宝:2008.06.09(平成20.06.09)
都道府県:熊本県
所在地:人吉市上青井町
所有者:青井阿蘇神社
管理者:-
青井阿蘇神社の社殿は、慶長15年(1610)以降、相良氏により整備されたものである。境内の奥に本殿が南面し、その前に廊、幣殿、拝殿が連続し、前方に楼門が建つ。また本殿周囲に大神宮内宮及び外宮、稲荷社などの末社を配し、境内前面には蓮池を湛える。
本殿は棟札により慶長15年の建立と判り、また墨書から、廊と幣殿も同年に建てられ、翌16年に拝殿、同18年に楼門が建てられたことが知られる。一連の造営は、窪田正市允と愛甲喜七郎が惣大工を務めた。
本殿は、三間社流造で、正側面に縁高欄を廻らし、軒は二軒繁垂木、銅板葺で、棟上に千木と勝男木を戴く。妻飾は虹梁大瓶束で、大瓶束は藤を浮き彫りにし、雲紋の笈形を付し、妻壁板に雲龍を彫り、また懸魚は桐花を象る。
軸部は、身舎では円柱を長押で固め、組物は二手先で中備に蟇股を配し、庇は角柱を虹梁で繋ぎ、柱上に三斗を組み、中備は蟇股である。
内部は一室で、内部柱を小屋まで延ばし、後方の祭壇中央に阿蘇三神を祀る。天井は舟底形の棹縁天井とする。
柱間装置は、正面中央間に板戸を開き、両脇間は亀甲組入格子の半蔀を吊る。東側面前間を板戸とし、他は板壁で、小壁に格狭間をつくる。
廊は、幣殿後方に接続し、桁行一間、梁間一間、切妻造、銅板葺である。本殿側の頭貫持送りに雲龍を彫り、頭貫上に三斗と蟇股をおいて虹梁大瓶束を受ける。
幣殿は、桁行五間、梁間三間、南面で拝殿と繋ぎ、東面落縁付き、軒は一軒疎垂木、寄棟造、茅葺である。角柱に長押を廻し、南北面中央に板戸を開き、両側面各間の窓に板戸を建てる。
内外の小壁は、柱を越えて動植物の図柄を連続させた華やかな薄肉彫彫刻とする。特に内部では、花鳥の図柄で四季を優美に表現し、虹梁上には共命鳥と迦陵頻伽の透彫欄間をいれる。天井は格天井である。
諸記録によれば、歴代藩主が、毎年大晦日から元旦にかけて、ここで「年籠」したことが知られる。
拝殿は、桁行七間、梁間三間、軒は出桁造、寄棟造、茅葺で、正面に、唐破風造、銅板葺の向拝を付ける。
平面は、前方一間を吹き放しとし、後方二間は、西側三間分を床を高めて「神楽殿」とし、東側の八畳を「神供所」とする。角柱を長押と貫で固め、周囲を板戸引違いとし、天井は棹縁天井である。
楼門は、三間一戸楼門、軒は二軒繁垂木、寄棟造、茅葺で、棟上に千木を置く。
青井阿蘇神社社殿は、慶長期に一連で造営された社殿群で、統一的意匠になり、完成度も高い。中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華麗な装飾性も機敏に摂取しており、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。
また、本殿前面の雲龍など要所を飾る秀麗な彫刻、特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められ、南九州地方における近世神社建築の発展において、深い文化史的意義が認められる。
「青井阿蘇神社とおくんち祭」として、日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~ 日本でもっとも豊かな隠れ里― 人吉球磨 ~」の構成文化財の一つになっている。

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・社殿が国宝に指定されている神社 - 日本広しといえどもわずかに27社しかない超レア神社
員数:5棟
種別:建造物の部 近世以前/神社
時代:桃山 慶長15年-18年(1610年-1613年)
重文:1933.01.23(昭和8.01.23)
国宝:2008.06.09(平成20.06.09)
都道府県:熊本県
所在地:人吉市上青井町
所有者:青井阿蘇神社
管理者:-
青井阿蘇神社の社殿は、慶長15年(1610)以降、相良氏により整備されたものである。境内の奥に本殿が南面し、その前に廊、幣殿、拝殿が連続し、前方に楼門が建つ。また本殿周囲に大神宮内宮及び外宮、稲荷社などの末社を配し、境内前面には蓮池を湛える。
本殿は棟札により慶長15年の建立と判り、また墨書から、廊と幣殿も同年に建てられ、翌16年に拝殿、同18年に楼門が建てられたことが知られる。一連の造営は、窪田正市允と愛甲喜七郎が惣大工を務めた。
本殿は、三間社流造で、正側面に縁高欄を廻らし、軒は二軒繁垂木、銅板葺で、棟上に千木と勝男木を戴く。妻飾は虹梁大瓶束で、大瓶束は藤を浮き彫りにし、雲紋の笈形を付し、妻壁板に雲龍を彫り、また懸魚は桐花を象る。
軸部は、身舎では円柱を長押で固め、組物は二手先で中備に蟇股を配し、庇は角柱を虹梁で繋ぎ、柱上に三斗を組み、中備は蟇股である。
内部は一室で、内部柱を小屋まで延ばし、後方の祭壇中央に阿蘇三神を祀る。天井は舟底形の棹縁天井とする。
柱間装置は、正面中央間に板戸を開き、両脇間は亀甲組入格子の半蔀を吊る。東側面前間を板戸とし、他は板壁で、小壁に格狭間をつくる。
廊は、幣殿後方に接続し、桁行一間、梁間一間、切妻造、銅板葺である。本殿側の頭貫持送りに雲龍を彫り、頭貫上に三斗と蟇股をおいて虹梁大瓶束を受ける。
幣殿は、桁行五間、梁間三間、南面で拝殿と繋ぎ、東面落縁付き、軒は一軒疎垂木、寄棟造、茅葺である。角柱に長押を廻し、南北面中央に板戸を開き、両側面各間の窓に板戸を建てる。
内外の小壁は、柱を越えて動植物の図柄を連続させた華やかな薄肉彫彫刻とする。特に内部では、花鳥の図柄で四季を優美に表現し、虹梁上には共命鳥と迦陵頻伽の透彫欄間をいれる。天井は格天井である。
諸記録によれば、歴代藩主が、毎年大晦日から元旦にかけて、ここで「年籠」したことが知られる。
拝殿は、桁行七間、梁間三間、軒は出桁造、寄棟造、茅葺で、正面に、唐破風造、銅板葺の向拝を付ける。
平面は、前方一間を吹き放しとし、後方二間は、西側三間分を床を高めて「神楽殿」とし、東側の八畳を「神供所」とする。角柱を長押と貫で固め、周囲を板戸引違いとし、天井は棹縁天井である。
楼門は、三間一戸楼門、軒は二軒繁垂木、寄棟造、茅葺で、棟上に千木を置く。
青井阿蘇神社社殿は、慶長期に一連で造営された社殿群で、統一的意匠になり、完成度も高い。中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華麗な装飾性も機敏に摂取しており、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。
また、本殿前面の雲龍など要所を飾る秀麗な彫刻、特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められ、南九州地方における近世神社建築の発展において、深い文化史的意義が認められる。
「青井阿蘇神社とおくんち祭」として、日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~ 日本でもっとも豊かな隠れ里― 人吉球磨 ~」の構成文化財の一つになっている。

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