「男鹿のナマハゲ」の元祖が今は「なまはげ柴灯祭り」に、景行期創建の古社
[住所]秋田県男鹿市北浦字真山字水喰沢97
[電話]0185-33-3033
真山神社(しんざんじんじゃ)は、秋田県男鹿市北浦字真山にある神社。近代社格では県社。秋田真山神社の総本社である。参拝すれば、御朱印を頂ける。
主祭神は、瓊瓊杵命と武甕槌命。
合殿神として、天照大御神、豊受大神、豊玉毘女神、少彦名神、大山咋神、大名持神、塞神三柱神(さえのみはしらのかみ=衝立船戸神、八衢比古、八衢比売)が祀られている。
社伝によれば、第12代景行天皇の御代、武内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の男鹿真山・男鹿本山)に登った。
そこで、使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して、瓊瓊杵命・武甕槌命を祀ったのが始源とされる。
別に、武内宿禰が東征して男鹿に下着、湧出山(男鹿真山)に登り瓊瓊杵命を祀る。
その後、嫡孫の武内弥真唯が東征のため下向、湧出山に立てこもる。このとき、藤の花を取ってたむけたので、湧出山を花取山とも呼ぶようになったという。
さらに別説に、金野小鹿の創祀ともある。その際の御祭神は伊弉諾命とも。
平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年間(859年-877年)には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南を本山としたと伝えられる。
以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。
南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏・藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。
江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹候の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽藍が営まれてきた。
明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められた。明治14年(1881年)には県社に列格された。
平成3年(1991年)9月、台風による烈風で多くの老杉が倒れて甚大な被害を受けるも、7年間の復興事業で境内整備が完工した。本殿は今なお真山山頂に鎮座している。
本社の特異神事として柴灯祭(せどまつり)がある。
正月3日の夕刻、境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅をお山に鎮座する神に献じ、その年の村内安全、五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る祭儀。
なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身と言われ、長治年間(1104年-1105年)より行われてきた。現在、「男鹿のナマハゲ」として国の重要無形民俗文化財に指定されている、その元祖と言える。
戦後になって、毎年2月第2金・土・日に「なまはげ柴灯祭り」として当社を会場に観光用イベントが開催される。
ほとんど氏子のみによる手作りの祭りであり、なまはげも当地の若者が扮する。多くのなまはげが一堂に会し、大迫力。
境内には五社堂がある。現存は一社だが、往古は五つの堂があったと考えられている。現存の堂は江戸後期の建築。
【ご利益】
国家安泰、五穀豊穣、海上安全の守護神(公式HP)
【関連記事】
・重要無形民俗文化財「男鹿のナマハゲ」 - よく古態をとどめ、かつ濃密な分布を示す
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真山神社(しんざんじんじゃ)は、秋田県男鹿市北浦字真山にある神社。近代社格では県社。秋田真山神社の総本社である。参拝すれば、御朱印を頂ける。
主祭神は、瓊瓊杵命と武甕槌命。
合殿神として、天照大御神、豊受大神、豊玉毘女神、少彦名神、大山咋神、大名持神、塞神三柱神(さえのみはしらのかみ=衝立船戸神、八衢比古、八衢比売)が祀られている。
社伝によれば、第12代景行天皇の御代、武内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の男鹿真山・男鹿本山)に登った。
そこで、使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して、瓊瓊杵命・武甕槌命を祀ったのが始源とされる。
別に、武内宿禰が東征して男鹿に下着、湧出山(男鹿真山)に登り瓊瓊杵命を祀る。
その後、嫡孫の武内弥真唯が東征のため下向、湧出山に立てこもる。このとき、藤の花を取ってたむけたので、湧出山を花取山とも呼ぶようになったという。
さらに別説に、金野小鹿の創祀ともある。その際の御祭神は伊弉諾命とも。
平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年間(859年-877年)には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南を本山としたと伝えられる。
以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。
南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏・藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。
江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹候の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽藍が営まれてきた。
明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められた。明治14年(1881年)には県社に列格された。
平成3年(1991年)9月、台風による烈風で多くの老杉が倒れて甚大な被害を受けるも、7年間の復興事業で境内整備が完工した。本殿は今なお真山山頂に鎮座している。
本社の特異神事として柴灯祭(せどまつり)がある。
正月3日の夕刻、境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅をお山に鎮座する神に献じ、その年の村内安全、五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る祭儀。
なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身と言われ、長治年間(1104年-1105年)より行われてきた。現在、「男鹿のナマハゲ」として国の重要無形民俗文化財に指定されている、その元祖と言える。
戦後になって、毎年2月第2金・土・日に「なまはげ柴灯祭り」として当社を会場に観光用イベントが開催される。
ほとんど氏子のみによる手作りの祭りであり、なまはげも当地の若者が扮する。多くのなまはげが一堂に会し、大迫力。
境内には五社堂がある。現存は一社だが、往古は五つの堂があったと考えられている。現存の堂は江戸後期の建築。
【ご利益】
国家安泰、五穀豊穣、海上安全の守護神(公式HP)
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