【日刊】日本の城
名称:熊本城(くまもとじょう)
別称:千葉城(出田氏)、隈本城(鹿子木氏・菊池氏・城氏・佐々氏・加藤氏半国期)、銀杏城

史跡:国の特別史跡
国宝:-
重文:-

住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
電話:096-352-5900
日本100名城:第92番
  - スタンプ:頬当御門、櫨方門、須戸口門、不開門

熊本城(くまもとじょう)は、肥後国(今の熊本県熊本市)にあった、江戸期には熊本藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

熊本市北区植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城。現在の地名では中央区の本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。

中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。

大坂城名古屋城とともに、日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。

細川氏の居城となった後も盛んに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失した。

現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、1889年(明治22年)の熊本地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。

昭和に入り、大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われている。現在は、加藤神社が鎮座する。付近には、熊本大神宮熊本城稲荷神社などの神社もある。

日本さくら名所100選に「熊本城」として、日本の歴史公園100選に「熊本城公園」として、美しい日本の歴史的風土100選に「熊本城、水前寺公園」として選ばれている。

平成28年(2016年)4月に発生した熊本地震により、国内最長の塀建築遺構である「長塀」や、「東十八間櫓」「不開(あかずの)門」などの国重文が半壊状態になるなど、甚大な被害を受け、修復には数十年要するとの見解もある。 
熊本城 肥後国(熊本県熊本市) - サムネイル写真
【関連サイト】
熊本城公式ホームページ

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