【日刊】日本の城
・名称:平戸城(ひらどじょう)
・別称:亀岡城、亀甲城、日之嶽城
・史跡:-
・国宝:-
・重文:-
・住所:長崎県平戸市岩の上町1473
・電話:0950-22-2201
・日本100名城:第90番
- スタンプ:平戸城天守閣
平戸城(ひらどじょう)は、肥前国(今の長崎県平戸市)にあった、江戸期には平戸藩の藩庁などにも機能した日本の城である。
築城年は慶長4年(1599年)であり、廃城年は1871年。慶長18年(1613年)に一旦破却後、宝永4年(1707年)に再建。天守はなく、乾櫓三重が代用された。複合式層塔型3重5階・鉄筋コンクリート造の模擬が戦後に建築されている。
平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。
三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。
最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。
再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。
現存の狸櫓には、次の伝説が残っている。
現在の城跡は亀岡神社の境内や亀岡公園となり市民グラウンドなどの施設がある。
【関連サイト】
・平戸城 - 平戸市
・名称:平戸城(ひらどじょう)
・別称:亀岡城、亀甲城、日之嶽城
・史跡:-
・国宝:-
・重文:-
・住所:長崎県平戸市岩の上町1473
・電話:0950-22-2201
・日本100名城:第90番
- スタンプ:平戸城天守閣
平戸城(ひらどじょう)は、肥前国(今の長崎県平戸市)にあった、江戸期には平戸藩の藩庁などにも機能した日本の城である。
築城年は慶長4年(1599年)であり、廃城年は1871年。慶長18年(1613年)に一旦破却後、宝永4年(1707年)に再建。天守はなく、乾櫓三重が代用された。複合式層塔型3重5階・鉄筋コンクリート造の模擬が戦後に建築されている。
平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。
三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。
最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。
再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。
現存の狸櫓には、次の伝説が残っている。
櫓の床下に狸が住みだした。天保初年(1830年頃)櫓の修理のため床板を全て剥ぎ取った。するとある夜、小姓に化けた狸が藩主の寝所にやって来て、我ら一族を櫓に棲ませて頂きたい、そうすれば城を永代守護すると嘆願したので、翌日、床を元通りに戻してやったと言う。これ以後、この櫓は狸櫓と呼ばれるようになった。昭和37年(1962年)、模擬天守及び復興の見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓が建てられた。天守内は松浦党などの資料館となっており国の重要文化財の環頭大刀(亀岡神社蔵)も展示されている。
現在の城跡は亀岡神社の境内や亀岡公園となり市民グラウンドなどの施設がある。

【関連サイト】
・平戸城 - 平戸市
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