【日刊】日本の城
名称:名護屋城(なごやじょう)
別称:名護屋御旅館

史跡:国の特別史跡
国宝:-
重文:-

住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋
電話:0955-82-5774
日本100名城:第87番
  - スタンプ:佐賀県立名護屋城博物館

名護屋城(なごやじょう)は、肥前国(今の佐賀県唐津市)にあった日本の城である。築城年は1591年であり、廃城年は1598年である。天守の築造年は、望楼型5重7階(非現存)である。主な築城者は豊臣秀吉。

名護屋(古くは名久野)は海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、中世には松浦党の交易拠点の一つであった。

ここにはもともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣添城があったが、豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。

名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に17万平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城である。五重天守や御殿が建てられ、周囲約3キロメートル内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれた。

城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄した。

秀吉の死後、大陸進攻が中止されたために城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わる。

石垣も江戸時代の島原の乱の後に一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却され、現在は部分が残る。歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されている。

大正15年(1926年)11月4日、「名護屋城跡並陣跡(なごやじょうあとならびにじんあと)」として国の史跡に指定された。昭和30年(1955年)8月22日、特別史跡に指定された。

黒澤明監督による『乱』(昭和60年(1985年)公開)のロケ地の一つとしても知られる。
名護屋城 肥前国(佐賀県唐津市) - サムネイル写真
【関連サイト】
佐賀県立 名護屋城博物館 - 佐賀ミュージアムズ