国宝「那須国造碑」の発見により、徳川光圀が創建 渡来人をいたわった国造
[住所]栃木県大田原市湯津上429
[電話]0287-98-2501

笠石神社(かさいしじんじゃ)は、栃木県大田原市湯津上にある神社。近代社格では無格社。御祭神は那須国造直韋提命。国宝「那須国造碑」があり、その国宝の碑が御神体である。江戸期に碑が発見され、それにより徳川光圀が創建。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は国造(後の郡長に当る)の官職にあって、名は韋提。位階は追大壱(天武天皇の朝に定められた四十八階の中で、この位は今日の正六位に当る)で姓は直。姓は家柄の尊卑をあらわすもので、直の姓は国造に多く賜っている。

大化の改新により、那須国が郡に改められたので、持統天皇3年(689年。碑文では、唐の則天武后の永昌元年)4月、飛鳥浄御原大宮すなわち持統天皇より那須郡長に任命された。

韋提は文武天皇4年(700年)正月2日に死去。その後、子の意斯麻呂が新羅の帰化人と協力して、この墓碑を建てた。

韋提は、第十代崇神天皇の皇子である豊城入彦尊(とよきいりひこのみこと)の子孫で、博愛の心が深く、新羅の渡来人をいたわって、現在の芦野町唐木田村に土着させて、一生安楽に世を送らせた。

それで韋提の歿後、その恩願を受けた渡来人らが、この頌徳碑を立てたとされる。碑文は全文8行、19字詰め、152字で、書体は中国の六朝、主として北魏時代の書風で非常に勝れたものとされ、学識はもとより、能筆の人が書いたものだという。

日本三古碑(本碑と、上野国多古碑、陸前国多賀城碑)の中で一番古いとされるこの碑は、いつの頃よりか草むらの中に埋もれ、里民が、その碑の頭上に笠石があることだけが承知される程度だった。

しかし、この石に対して雨乞をしたところ、効験があったという。貞享4年(1687年)、徳川光圀がこの碑の話を聞き、保全のために動き、元禄4年(1691年)に御堂を建立、現在のように安置した。光圀晩年の大仕事の一つとなる。

現在では、碑面を下にして土中に埋まっていたため、碑文の表面が風化せず、逆に保存状態が良かったという。

境内社に稲荷社がある。

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