読み:かんぎいんしょうでんどう(ほんでん)
員数:1棟
種別:建造物の部 近世以前/神社
時代:江戸中期 奥殿:延享元年、中殿:宝暦10年、拝殿:宝暦6年
重文:1984.12.28(昭和59.12.28)
国宝:2012.07.09(平成24.07.09)
都道府県:埼玉県
所在地:熊谷市妻沼
所有者:歓喜院
管理者:-

歓喜院の聖天堂は長く仮堂であったが、享保5年(1720年)に地元の大工林兵庫正清が再建を志し、歓喜院主海算と諮って広く寄進を募った。

造営は享保20年(1735年)に奥殿からとりかかり、寛保元年(1741年)に上棟、延享元年(1744年)に中殿の奥側二間まで完成したが、度重なる水害のために工事は中断。

宝暦5年(1755年)に正清の子の林兵庫正信が中心となって拝殿の造営が再開され、翌6年(1756年)に上棟、同10年(1760年)に中殿とともに完成をみたが、屋根は全体がこけら葺の土居葺のままで、安永8年(1779年)にようやく瓦棒銅板葺とした。

平成15年度から22年度にかけて、屋根葺替及び部分修理、塗装修理の保存修理工事が実施された。修理に伴う調査により、多様な装飾技法の詳細が明らかとなった。

聖天堂は、奥殿、中殿、拝殿が接続して一体化した、権現造の形式で、東を正面にして建つ。奥殿は桁行三間、梁間三間、入母屋造で、正面には間口いっぱいに一間向拝を付ける。軒は二軒で正面を除く三方に軒唐破風を付け、背面には千鳥破風を飾る。

中殿は桁行三間、梁間一間の両下造で、奥殿向拝と拝殿桁行中央間をつなぐ。

拝殿は桁行五間、梁間三間の入母屋造で、正面に三間向拝を付け、軒唐破風と千鳥破風で飾る。内部は奥二間を畳敷の内拝、前面の一間は吹放ちの外拝とする。中殿が拝殿に取付く北側隅には御供所の下屋が付く。

建物の内外は、彫刻、漆塗、彩色、絵画、金具で飾る。装飾の種類と密度により、拝殿から中殿、奥殿へと荘厳性を高める。

彫刻は、土台、柱、長押、頭貫などに地紋彫を施す。木鼻は獅子、龍、象、鳳凰の霊獣、蟇股は花鳥や風神雷神、奥殿内法下の大羽目彫刻は七福神、縁下の腰羽目彫刻は唐子遊びを題材とし、透彫、浮彫、丸彫、篭彫、高肉彫を織り交ぜて立体感のある造形とする。

漆塗は、黒、赤、黄、緑、焦茶の五色の色漆塗と透漆塗、木地溜塗の技法を使い分け、要所には金箔を押す。

彩色は、膠彩色による極彩色で、絵具を盛上げた置上彩色で大羽目彫刻などの細部や奥殿天井格間の吉祥文字などを立体的に表現する。また、漆地に金箔を押した上に彩色を施す生彩色も用いる。桐油彩色により漆塗では難しい白色を補う。奥殿の柱は地紋彫に唐木摺を加えている。屋根の銅板には黒色のチャン塗が施された。

絵画は、全て板絵で、奥殿の内陣内法壁は唐獅子、中殿の外部小壁は唐獅子、内部小壁は翔鶴、天井格間は宝尽しを描く。拝殿は内拝天井の中央間鏡板に大きく龍を描き、周囲の天井格間に龍と草花、外拝天井格間は鳥獣とする。

歓喜院聖天堂は、近世初頭から霊廟建築などで発展してきた多様な建築装飾技術が惜しみなく注がれた、江戸時代中期の建築装飾の頂点の一つを示す建物である。また、これが庶民の寄進によって実現されたことは、庶民信仰の隆盛による近世宗教建築における装飾文化の普及の過程を現すものと言える。
国宝「歓喜院聖天堂(本殿)」(埼玉県熊谷市)