読み:りんのうじたいゆういんれいびょう
員数:1棟
種別:建造物の部 近世以前/神社
時代:江戸前期 承応2年(1653年)
重文:1908.08.01(明治41.08.01)
国宝:1952.11.22(昭和27.11.22)
都道府県:栃木県
所在地:日光市山内
所有者:輪王寺
管理者:-

大猷院は江戸幕府三代将軍徳川家光が死後、後光明天皇から賜った法号。慶安4年(1651年)に家光が死去。遺言「死後も東照大権現(初代将軍徳川家康)にお仕えする」に従い日光東照宮に近接する場所に埋葬することになる。

四代将軍家綱は、酒井忠勝に命じて承応元年(1652年)2月16日から翌承応2年4月4日まで1年2ヶ月という短い期間で大猷院を造営。

大棟梁は平内大隅守応勝で、日光東照宮を敬う立場から主要堂宇は東照宮方向を向き、規模的にはやや小規模にまとめた。建築に施されている彫刻や色調も抑え気味、色彩も東照宮が白と金を基調としているのに対し、大猷院では赤と金を基調とした。

また、大猷院は東照宮の後に建てられていることもあって、技術が飛躍的向上しているとされ、個々の彫刻や工法、地形を利用した配置構成などは優れているとされる。

江戸時代までは日光山内として渾然一体だったが、明治初頭に発令された神仏分離令により正式に輪王寺所管となった。

境内は輪王寺本坊、日光東照宮、二荒山神社と共に「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。

本 殿……桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、銅瓦葺
相の間……桁行三間、梁間一間、一重、両下造、銅瓦葺
拝 殿……桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、銅瓦葺
国宝輪王寺大猷院霊廟