強盛を誇った求菩提山の修験道、国宝「銅板法華経・銅筥」
[住所]福岡県豊前市求菩提202、求菩提山
[電話]0979-88-3203
国玉神社(くにたまじんじゃ)は、福岡県豊前市求菩提山にある神社。近代社格では郷社。中宮と上宮があり、上宮は求菩提山頂にある。御朱印の有無は不明。
国宝「銅板法華経(33枚)・銅筥(1口)」があることで知られる。御祭神は、伊弉諾命、伊弉冉命、顯國玉神(あきつくにたまのかみ)。
『求菩提山文書』(求菩提資料館寄託)では、第26代継体天皇20年(526年)の猛覚魔ト仙による開山、大宝4年(704年)の役行者の入山、養老4年(720年)の行善による求菩提山護国寺の建立とある。
『求菩提山縁起』でも行善の入山と寺院の建立を伝える。
護国寺は天台宗系の本山派に属し、求菩提山の修験道の中心。本格的な伽藍の整備は、12世紀中頃、求菩提山中興の祖とされる頼厳上人によってなされたと考えられている。
一番上の段には、神殿と拝殿からなる北山殿が、その脇に二層構造の多宝塔があり、二段目には、南の向いて鬼神社が、三段目には寺の中心施設であった講堂があった。
一番下にある広場(松庭)では、松会など重要な祭事が執り行われていた。
現在でも、その内のお田植祭が毎年春先に行われる。いわゆる「求菩提山のお田植祭」で、毎年3月29日10時-15時に行われ、山伏が伝えた神楽の奉納などがあり、県の無形民俗文化財に指定されている。
その前日の3月28日が当社の例祭。
なお、明治元年(1868年)に出された神仏分離令により、神社として、現社号に改められた。
境内社に、鬼神社がある。御祭神は大山祇命、火具土命、經津主命、大己貴命、金山彦神、埴山姫命、雷命、須佐男命。
求菩提山には結界石が残り、玄沖という若い山伏が厳しい修行を終えて帰山の時、先輩の僧たちの妬みから落し穴に生き埋めにされたという玄沖石子詰伝説がある。
また、愛宕神社、安浄寺跡、岩屋坊、豊照神社(毘沙門堂)などが点在する。
中宮社殿右から上宮へ行ける。鬼の石段(別名、鬼の鐙=あぶみ)と呼ばれる一直線に延びたおよそ850段、全長181メートルの自然石の急な階段。
夜な夜な山から下ってきて悪さをする鬼に村人達は因りはて、求菩提の権現にどうにかしてくれるよう懇願。
そこで権現は鬼達に一晩で中宮から上宮まで石段を築くことが出来なければ山から出て行くように命じた。すると鬼はすさまじい勢いで石段を積んでゆき、夜明け前に完成しそうだった。
一計を案じた権現は、鶏の真似をして夜明けの時を告げた。これを聞いた鬼は約束を果たせなかったことを知って、一目散に逃げ出したという。全国各地に伝わる鶏鳴伝説の一つと思われる。
上宮は標高782メートルの求菩提山の山頂にある。盤座の巨石群がある。平安後期、修験道の守護神として白山権現(十一面観音)と地主権現(薬師如来)が二所権現として祀られた。
南には遠く犬ケ岳を望むことができ、犬ケ岳に対する信仰にもつながる。
国宝「銅板法華経(33枚)・銅筥(1口)」は、九州国立博物館などで展示されることがある。
それと付随して、「大内義興奉行人連署書状」(大永7年(1527年)11月3日)と呼ばれるものがあり、銅板法華経と銅筥の発見にかかわる文書とされる。
また「求菩提山経塚出土品 一括」として国の重要文化財に指定されている。求菩提山は国の史跡。
【ご利益】
身体壮健、夫婦和合、リフレッシュなど

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国玉神社(くにたまじんじゃ)は、福岡県豊前市求菩提山にある神社。近代社格では郷社。中宮と上宮があり、上宮は求菩提山頂にある。御朱印の有無は不明。
国宝「銅板法華経(33枚)・銅筥(1口)」があることで知られる。御祭神は、伊弉諾命、伊弉冉命、顯國玉神(あきつくにたまのかみ)。
『求菩提山文書』(求菩提資料館寄託)では、第26代継体天皇20年(526年)の猛覚魔ト仙による開山、大宝4年(704年)の役行者の入山、養老4年(720年)の行善による求菩提山護国寺の建立とある。
『求菩提山縁起』でも行善の入山と寺院の建立を伝える。
護国寺は天台宗系の本山派に属し、求菩提山の修験道の中心。本格的な伽藍の整備は、12世紀中頃、求菩提山中興の祖とされる頼厳上人によってなされたと考えられている。
一番上の段には、神殿と拝殿からなる北山殿が、その脇に二層構造の多宝塔があり、二段目には、南の向いて鬼神社が、三段目には寺の中心施設であった講堂があった。
一番下にある広場(松庭)では、松会など重要な祭事が執り行われていた。
現在でも、その内のお田植祭が毎年春先に行われる。いわゆる「求菩提山のお田植祭」で、毎年3月29日10時-15時に行われ、山伏が伝えた神楽の奉納などがあり、県の無形民俗文化財に指定されている。
その前日の3月28日が当社の例祭。
なお、明治元年(1868年)に出された神仏分離令により、神社として、現社号に改められた。
境内社に、鬼神社がある。御祭神は大山祇命、火具土命、經津主命、大己貴命、金山彦神、埴山姫命、雷命、須佐男命。
求菩提山には結界石が残り、玄沖という若い山伏が厳しい修行を終えて帰山の時、先輩の僧たちの妬みから落し穴に生き埋めにされたという玄沖石子詰伝説がある。
また、愛宕神社、安浄寺跡、岩屋坊、豊照神社(毘沙門堂)などが点在する。
中宮社殿右から上宮へ行ける。鬼の石段(別名、鬼の鐙=あぶみ)と呼ばれる一直線に延びたおよそ850段、全長181メートルの自然石の急な階段。
夜な夜な山から下ってきて悪さをする鬼に村人達は因りはて、求菩提の権現にどうにかしてくれるよう懇願。
そこで権現は鬼達に一晩で中宮から上宮まで石段を築くことが出来なければ山から出て行くように命じた。すると鬼はすさまじい勢いで石段を積んでゆき、夜明け前に完成しそうだった。
一計を案じた権現は、鶏の真似をして夜明けの時を告げた。これを聞いた鬼は約束を果たせなかったことを知って、一目散に逃げ出したという。全国各地に伝わる鶏鳴伝説の一つと思われる。
上宮は標高782メートルの求菩提山の山頂にある。盤座の巨石群がある。平安後期、修験道の守護神として白山権現(十一面観音)と地主権現(薬師如来)が二所権現として祀られた。
南には遠く犬ケ岳を望むことができ、犬ケ岳に対する信仰にもつながる。
国宝「銅板法華経(33枚)・銅筥(1口)」は、九州国立博物館などで展示されることがある。
それと付随して、「大内義興奉行人連署書状」(大永7年(1527年)11月3日)と呼ばれるものがあり、銅板法華経と銅筥の発見にかかわる文書とされる。
また「求菩提山経塚出土品 一括」として国の重要文化財に指定されている。求菩提山は国の史跡。
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