長慶天皇伝承の楢原山頂、国宝「経塚出土品」が出土
[住所]愛媛県今治市玉川町の楢原山頂
[電話]0898-22-5304 - 別宮大山祇神社

奈良原神社(ならはらじんじゃ)は、愛媛県今治市玉川町の楢原山にあった神社で、現在は別宮大山祇神社の境内社として遷座している。御朱印の有無は不明。

国宝「伊予国奈良原山経塚出土品」が楢原山頂で発見されたことで知られ、出土品は現在、町立玉川近代美術館に寄託している。

楢原山は、愛媛森林浴88ヶ所72番で、四国百山、四国百名山の一つ。「楢原山への道」として四国の道第16番。

開山は役小角。鎌倉時代から山岳修験の霊山となり、林道終点に立つ石碑に名を残す「蓮華寺」と併せ、多くの行者が常住した。

当社は元々、尾根伝いに南に下った古権現山付近に「奈良原権現」として鎮座していた。

往時は西条市丹原にある興隆寺から山に分け入り、東三方ヶ森に至る尾根を伝って後、中三方ヶ森から古権現山を経て楢原山に至る修験の道も存在していた。

南北朝時代、北朝方によって都を追われた長慶天皇が、牛や馬を乗り継いで千疋峠を越え、楢原山から東三方ヶ森を通って川内の山之内へと逃れた伝承がある。

この伝承が広がり、当社は牛馬の守護神として広く崇敬を集めるようになった。

現在も県内各地に当社ゆかりの小祠が見られるという。長慶天皇はその後、久米や湯山を転戦、最後は東温市牛渕の浮嶋神社に葬られたと伝えられる。当社にも長慶天皇の御霊が合祀されている。

当社の崇敬は昭和に入っても綿綿と続き、昭和30年代には奈良原講と呼ばれる信仰結社が400を越すほどに結成されたという。

昭和9年(1934年)夏、雨乞いのために社殿周辺の清掃が行われていた際、盛り土が崩れ、開いた穴から二重の瓶に覆われた九輪の塔が出土した。

平安時代末期の銅宝塔で、全長71.5センチ、青白磁の小壺、銅鏡、中国の古銭などの遺物も検出された。

現在「伊予国奈良原山経塚出土品」として国宝に指定されているものがこれで、現在も山頂には発掘場所を示す石碑などがある。

しかし農作業の機械化により、農村部から牛馬が姿を消すにつれ、かつての賑わいを失い、風雪にさらされた結果、栄華を誇った社殿も崩落。

別宮大山祇神社の境内社は、当社の氏子全員が離村して今治市内に移ることになったため、御分霊を勧請したもの。御祭神は奈良原神社分霊、奈良原神。

素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」に加盟しているとされる。楢原山頂の社は、平成13年(2001年)、鎮座1300年祭の記念行事の一環として再建され、現代に至る。

【ご利益】
所願成就、五穀豊穣・財運など
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