甲府の鬼門、武田氏家宝の「楯無鎧」が安置され、相殿に菅原道真を祀る
[住所]山梨県甲州市塩山上於曽1054
[電話]0553-33-4006

菅田天神社(かんだてんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社。近代社格では県社。県中東部、甲府盆地の北東縁に位置。塩山は恵林寺や向嶽寺などの古刹が集中し、武田氏の保護を受けた寺社も多い。参拝すれば、御朱印を頂ける。

「楯無鎧」(たてなしのよろい)と呼ばれる、甲斐源氏の祖新羅三郎義光以来、武田氏宗家が代々受け継いできた、武田家代々の家督のしるし「小桜韋威鎧 兜、大袖付」が国宝に指定されている。

『甲斐国社記寺記』によれば、承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建される。神田明神とも呼ばれた。

御祭神は素戔嗚尊とその御子神八柱(五男三女神)。寛弘元年(1004年)には相殿に菅原道真を祀り、これが「菅田天」の由来となった。

古くから甲斐源氏の鎮守と位置づけられ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受け、神主は府中八幡宮への参勤を免除された。

甲府の鬼門にあたることから、武田信光(1162年-1248年)の頃に御旗(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝として相伝されていた楯無鎧が安置された。鎧は於曽氏が管理した。

「楯無鎧」が武田氏家宝になるには前史がある。実は、神功皇后が三韓征伐時に身に付けていたものだという。帰国後に後の応神天皇を無事出産した嘉瑞の霊器として、摂津の住吉神社(現 住吉大社)に納められた。

後世、源頼義が勅命を報じて奥羽討伐に向かう際、住吉神社に祈願した折、神託によって陣中守護として賜ったものを、新羅三朗義光に伝え、甲斐源氏武田家に伝来したという。

応永16年(1409年)、武田信春が寄進した石灯籠が現在に伝わる。

『甲斐国志』によれば、永禄4年(1561年)2月には武田信豊から、永禄7年(1564年)5月には板垣信安からそれぞれ社領寄進を受けている。

『国志』によれば、武田氏滅亡に際しては楯無鎧が塩山向嶽寺の杉下に埋められ、後に徳川家康により再び当社に安置されたとする伝承を持つが、鎧の詳細調査では埋められた形跡は確認されていないという。

天正11年(1583年)には徳川氏から社領安堵を受け、慶長8年(1603年)には禁制を下されている。慶長7年(1602年)と正徳3年(1713年)には社殿造営が行われる。

宝物殿に、楯無鎧、現在は国宝指定「小桜韋威鎧 兜、大袖付」を所蔵。現代に至るまで秘蔵である。ただし、江戸期には『甲陽軍鑑』の流行もあり多くの参拝者が往来したという。

古文書として、信玄の禁制、信豊の寄附状、信玄の寄附状、元亀三年祭礼次第書、伊奈熊蔵の文書などがあり、武田信玄ゆかりの神社とも言われる。

昭和40年(1965年)3月の火災で社殿を焼失するが、昭和44年(1969年)に復興した。

境内にはカシをはじめスギ、ヒノキ、ケヤキが繁る。カシはツクバネガシと、アカガシとツクバネガシの雑種であるオオツクバネガシで構成されており、昭和38年(1963年)に県指定天然記念物となった。

祭礼日は10月15日

【ご利益】
厄除け、方除け、家内円満、武運長久
菅田天神社 - 甲府の鬼門、武田氏家宝の「楯無鎧」が安置され、相殿に菅原道真を祀る
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菅田天神社の御朱印