応神天皇陵のすぐ南に鎮座する「日本最古の八幡宮」、武家寄進の宝物も多数
[住所]大阪府羽曳野市誉田3-2-8
[電話]072-956-0635

誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市誉田にある神社。近代社格では府社。誉田宮とも。誉田御廟山古墳、いわゆる応神天皇陵(宮内庁「惠我藻伏崗陵」)のすぐ南に鎮座する。

主祭神は第15代応神天皇。参拝すれば、「河内国 惠我藻伏崗陵南鎮座」などとある御朱印を頂ける。

社伝では、第29代欽明天皇の命により、応神天皇陵の前に社殿を建立したのに始まるという。宇佐に八幡神が顕現したのは欽明天皇32年とされており、それよりも早い。

当社は「日本最古の八幡宮」と称している。

『誉田宗廟縁起』では、聖徳太子、弘法大師、行基、菅原道真による参籠が記されている。永承6年(1051年)、元の鎮座地から1丁(約100メートル)ほど南の現在地に遷座した。

八幡神が源氏の氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。

源頼朝は建久7年(1196年)、社殿・伽藍を修復し、塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうみこし、国宝)や神馬、松皮菱螺鈿鏡鞍(重要文化財)などを寄進している。

室町幕府六代将軍足利義教は、『誉田宗廟縁起』『神功皇后縁起』(いずれも重要文化財)を奉納している。

南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって保護されたが、享徳3年(1454年)より始まった河内守護・畠山氏の内輪争いにより、社殿・伽藍を焼失し荒廃した。

河内国を支配下に置いた織田信長により、社領を全て奪われた。

その後、豊臣秀吉は社領200石を寄進し、社殿を再建。天正14年(1586年)に社殿が焼失したため、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行った。

しかし、拝殿の建造中に大坂夏の陣・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。

江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。神宮寺として長野山護国寺があったが、明治初年の廃仏毀釈により大半の建物が取り壊され、現在は南大門のみが残る。

塵地螺鈿金銅装神輿の他、国宝に指定されているものに、古墳時代の金銅透彫鞍金具がある。先に挙げたもののほか、重要文化財は多数。

9月15日が秋季大祭で、応神天皇陵へのみこし渡御があり、神楽や献茶の奉納がある。5月8日が夏祭、別名・藤まつりで、舞楽・神楽・武道が奉納される。

境内社に、御神木である槐木「安産木」がある安産社、当宗社、姫待稲荷社、恵比寿社(福よせ・福笹が授与される例祭は1月9日)がある。

【ご利益】
安産、厄除け(公式HP
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