松尾大社の境外摂社である式内の古社、二社ともに水運の女神を祀る
[住所]京都府京都市西京区嵐山中尾下町61
[電話]075-86-2913

櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ/いちいだにむなかたじんじゃ)は、京都府京都市西京区嵐山中尾下町にある神社。櫟谷・宗像神社とも呼ばれる。

櫟谷社と宗像社の2社が1殿に祀られており、櫟谷社は『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 葛野郡「櫟谷神社」に比定される式内社(小社)。両社合わせて松尾大社の摂社。

社殿は渡月橋の南橋詰近くに鎮座する。櫟谷社と宗像社はそれぞれ「松尾七社」の一社に数えられ、特に櫟谷社は松尾社・月読社とともに「松尾三社」に数えられる。参拝すれば、御朱印を頂ける。

現在の御祭神は、櫟谷神社が奥津島姫命(田心姫命)、宗像神社が市杵島姫命。第38代天智天皇7年(686年)、筑紫の宗像大社から勧請されたものと伝わる。大堰川(桂川)の水運の守護神。

『松尾社譜』や神社明細帳では、現在とは逆に櫟谷社が市杵島姫命、宗像社が奥津島姫命と記されている。なお、『松尾七社略記』では櫟谷社の御祭神を事代主神とする。

櫟谷社に関して、嘉祥元年(848年)に従五位下、貞観10年(868年)に正五位下の神階奉叙。

貞観12年(870年)には、葛野鋳銭所近くの宗像・櫟谷・清水・堰・小社の五小社に対して賀茂上下社(賀茂御祖神社賀茂別雷神社)・松尾社とともに新鋳銭を奉納したと見える国史見在社

『続左丞抄』において、仁安2年(1167年)3月25日には「松尾末社櫟谷旅所老尼一人頓死」という記載が見える

また、『百錬抄』では仁治2年(1241年)、「松尾末社」である櫟谷宗形両社が焼亡して御神体を焼失したという記載がある。

寛元2年(1244年)、山崩れが発生して大堰川が塞がれ、末社宗像社では鏡石が落ちたという。鎌倉時代後期の『夫木和歌抄』には、藤原為家の歌として、下記が収録されている。
おほ井川 しぐるる秋の いちひだに 山やあらしの 色をかすらむ
室町時代初期の「松尾神社境内絵図」では、櫟谷社・宗像社両社は独立社殿ながら隣接して描かれている。

明治維新後、明治11年(1878年)3月に両社は松尾神社摂社に定められた。

神像として女神像2躯と神像形1躯を所蔵。これらの神像は他の松尾大社摂末社の神像と併せて京都府指定文化財に指定され、現在は松尾大社の宝物館で展示されている。

境内の手水鉢は、渡月橋を現在の場所に架けた角倉了以の孫である吉田厳昭が寛永20年(1643年)に寄進したものと言われる。

【ご利益】
水運の守護神、開運・交通安全(公式HP
櫟谷宗像神社 - 松尾大社の境外摂社である式内の古社、二社ともに水運の女神を祀る
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