洛南随一の大祭「伏見祭」で知られ、「御香水」が名高い安産・治癒の神
[住所]京都府京都市伏見区御香宮門前町174
[電話]075-611-0559
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ/ごこうぐうじんじゃ)は、京都府京都市伏見区にある神社。参拝すれば、「伏見桃山」とあり、「御香宮」と大書された御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「御諸神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では府社。京都十六社朱印めぐりの一社。神仏霊場巡拝の道82番(京都2番)。
通称は「御香宮」「御幸宮」。伏見地区の産土神で、神功皇后を主祭神とし、夫の第14代仲哀天皇、子の第15代応神天皇のほか六神を祀る。
六神は、宇倍大明神、瀧祭神、河上大明神、高良大明神、第16代仁徳天皇、菟道稚郎子尊、白菊大明神。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。
初めは式内社名「御諸神社」と称した。しかし、式内社「御諸神社」は一説に、伏見稲荷大社に合祀されている、との見解もあり、伏見稲荷大社ともども論社となる。
創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出した。
その水を飲むと病が治ったので、時の第56代清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。
貞享元年(1684年)『菟芸泥赴』(つぎねふ)では、「筑前国糟谷郡の香椎御宮から神功皇后を勧請し皇后御廟香椎宮を略し、御香の宮と申す」とある。
この湧き出た水は「伏見の御香水」と呼ばれ、名水百選に選定されている。ボトルを持参して取水する地元民も多い。伝承通り、病気に効くと評判で、京都のパワースポットの一つになっている。
豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした。現在でも古御香宮として残っている。
また、伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている。
後に徳川家康によってもとの位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。
明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となったが、本殿などは戦災に遭うことなく無事だった。
昭和に入ってからは、すぐ東を通る国道24号線の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家の中根金作の手によって、社務所の裏側に再現された。
この庭園は、もと伏見奉行所の跡で、米軍のキャンプ地の跡である桃陵団地建設の際に発見されたもの。
毎年10月上旬に神幸祭が斎行される。最終日の神輿巡幸では、3基の神輿のほか、獅子若、猿田講社、武者行列(奴振りを伴う)、稚児行列の行列がある。
それぞれが時間差をもって氏子地域を終日、巡行する賑やかな祭。伏見九郷の総鎮守の祭礼、洛南随一の大祭「伏見祭」などとも。
徳川家康の命令で建立された本殿、元和8年(1622年)に徳川頼房の寄進によって建立された表門(旧伏見城大手門)のほか、金熨斗付太刀(きんのしつきたち)が国の重要文化財に指定されている。
また、寛永2年(1625年)、徳川頼宣の寄進による拝殿は府の有形文化財。
【ご利益】
安産、病気平癒など(公式HP)
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御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ/ごこうぐうじんじゃ)は、京都府京都市伏見区にある神社。参拝すれば、「伏見桃山」とあり、「御香宮」と大書された御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「御諸神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では府社。京都十六社朱印めぐりの一社。神仏霊場巡拝の道82番(京都2番)。
通称は「御香宮」「御幸宮」。伏見地区の産土神で、神功皇后を主祭神とし、夫の第14代仲哀天皇、子の第15代応神天皇のほか六神を祀る。
六神は、宇倍大明神、瀧祭神、河上大明神、高良大明神、第16代仁徳天皇、菟道稚郎子尊、白菊大明神。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。
初めは式内社名「御諸神社」と称した。しかし、式内社「御諸神社」は一説に、伏見稲荷大社に合祀されている、との見解もあり、伏見稲荷大社ともども論社となる。
創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出した。
その水を飲むと病が治ったので、時の第56代清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。
貞享元年(1684年)『菟芸泥赴』(つぎねふ)では、「筑前国糟谷郡の香椎御宮から神功皇后を勧請し皇后御廟香椎宮を略し、御香の宮と申す」とある。
この湧き出た水は「伏見の御香水」と呼ばれ、名水百選に選定されている。ボトルを持参して取水する地元民も多い。伝承通り、病気に効くと評判で、京都のパワースポットの一つになっている。
豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした。現在でも古御香宮として残っている。
また、伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている。
後に徳川家康によってもとの位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。
明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となったが、本殿などは戦災に遭うことなく無事だった。
昭和に入ってからは、すぐ東を通る国道24号線の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家の中根金作の手によって、社務所の裏側に再現された。
この庭園は、もと伏見奉行所の跡で、米軍のキャンプ地の跡である桃陵団地建設の際に発見されたもの。
毎年10月上旬に神幸祭が斎行される。最終日の神輿巡幸では、3基の神輿のほか、獅子若、猿田講社、武者行列(奴振りを伴う)、稚児行列の行列がある。
それぞれが時間差をもって氏子地域を終日、巡行する賑やかな祭。伏見九郷の総鎮守の祭礼、洛南随一の大祭「伏見祭」などとも。
徳川家康の命令で建立された本殿、元和8年(1622年)に徳川頼房の寄進によって建立された表門(旧伏見城大手門)のほか、金熨斗付太刀(きんのしつきたち)が国の重要文化財に指定されている。
また、寛永2年(1625年)、徳川頼宣の寄進による拝殿は府の有形文化財。
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