疫神スサノヲを祀る社から抑え込む社へ、やすらい花・今宮祭が有名
[住所]京都府京都市北区紫野今宮町21
[電話]075-491-0082

今宮神社(いまみやじんじゃ)は、京都府京都市北区紫野今宮町にある神社。近代社格では府社。別名は「玉の輿神社」(たまのこしじんじゃ)。参拝すれば、御朱印を頂ける。

京都十六社朱印めぐりの一社。5月に行なわれる今宮祭が有名。神輿出し(5月1日)、神幸祭(5月5日)、還幸祭(5月15日付近の日曜日)、神輿おさめ(5月19日)の順に行なわれる。

また、「やすらい花」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の三大奇祭に一つに数えられる「やすらい祭」が4月第2日曜日に行なわれる。

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)。

鎮座地には延暦13年(794年)の平安遷都以前から、現在は当社摂社となっている疫神社(疫社)が鎮座していた。疫神スサノヲを祀る社。

現在、当社として素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」にも加盟している。

平安遷都後にはしばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑、上御霊神社下御霊神社八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれた。

正暦5年(994年)にも都で大規模な疫病がはびこったため、大規模な御霊会が行われた。いわゆる「紫野御霊会」で、これが今宮祭の起源とされている。

長保3年(1001年)にも疫病が流行したことから、朝廷は疫神を船岡山から移し、疫神を祀った社に神殿・玉垣・神輿を造らせて今宮社と名付け、現在の御祭神三柱を創祀。

疫病が流行るたびに紫野御霊会が営まれ、やがて今宮社の祭礼(今宮祭)として定着し、現在では毎年5月に行なわれる。

創祀以来、当社に対する朝廷・民衆・武家からの崇敬は厚く、弘安7年(1284年)には正一位の神階が与えられた。

15世紀-16世紀には、京の町が応仁・文明の乱(1467年-1478年)や戦国の兵乱などに巻き込まれ、当社自体も荒廃。文禄2年(1593年)に豊臣秀吉は今宮社の御旅所を再興し、神輿1基を寄進した。

西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。このことが「玉の輿」ということわざの由来になったとの説がある。

桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだが、当社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念が非常に強かったという。

元禄7年(1694年)には御牛車や鉾を寄進したほか、祭事の整備や氏子区域の拡充、やすらい祭の復興など様々な施策を行なった。江戸時代には社領として50石が与えられた。

線刻四面石仏が国の重要文化財に指定されている。

拝殿と納札所の西側に「阿呆賢さん」(あほかしさん)がある。その名もユニークな霊石は、願いが叶うかどうかを占ったり、病気を治してくれたり、不思議な力を持っているとされる。京都のパワースポットの一つ。

境内社には、先の疫社の他、織姫社、八社、八幡社、大将軍者、日吉社、若宮社、地主稲荷社、月読社があり、疫社が本殿と並んで北側にあるほか、いずれの境内社も境内西方に並んでいる。

経緯から考えれば、当社の核心は疫社であり、その荒ぶる力を、本殿に祀られる三柱に抑えてもらおうという構図となっていることが考えられ、境内社の西側配置もそれと何らかのかかわりがあるものと考えられる。

門前の名物として、あぶり餅がある。東門の門前に参道をはさんで2軒の店が建ち、店頭で炭を使って餅をあぶっており、常に周囲に香ばしい香りを漂わせている。

注文を受けてから餅をあぶり始めるので、歴史ある雰囲気の茶店内で餅があぶり終わるのを待つことになる。

【ご利益】
健康長寿、良縁開運、厄除け(公式HP
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今宮神社(京都市)の御朱印