嵯峨野・竹林の小道にある斎宮ゆかりの清浄の地、良縁・子宝・学問の神
[住所]京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1
[電話]075-871-1972

野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都府京都市右京区嵯峨野々宮町にある神社。近代社格では村社。読みから「野々宮神社」とも記述されることがあるが、正式には「野宮神社」。有名な、竹林の小道(小径)にあり、参拝すれば、御朱印を頂ける。

『源氏物語』ゆかりの地で、学問・恋愛成就・子宝安産などの御祭神を祀り、地域住民からの崇敬はもとより、他府県または海外からも、多くの参拝者が訪れ、篤い信仰を集める。

本殿には、天照皇大神を野宮大神として祀る。本殿北隣には愛宕大神を、南隣には白峰弁財天を祀る。白峰弁財天祠前方に野宮大黒天、手水鉢脇の井戸には龍神。

境内摂社に、白福稲荷大明神、大山弁財天などがあり、境外摂社に、明治期建立の当神社旧本殿を社殿とする大井神社がある。

豊鍬入姫命を端とした伊勢の神宮(伊勢神宮)に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する。

天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王(平均12歳-13歳、最年少2歳、最年長28歳)の中より新たな斎王が卜定され、宮中の初斎院で1年間、そして嵯峨野の清らかな場所を選び造営された野宮に入り約1年間潔斎した後に斎宮寮(現在の三重県多気郡明和町)に向かう。

その時の行列を「斎王群行」といい、平成10年(1998年)より毎年10月の例祭において、氏子を中心に「斎宮行列」としてその様子が再現されている。

野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の代の仁子内親王の時から現在の当社の鎮座地に野宮が作られるようになった。斎王の制度は南北朝時代、後醍醐天皇の代の祥子内親王を最後に廃し、その後は天照大神を祀る神社として存続していたが、度重なる戦乱の中で衰退した。

後に後奈良天皇、中御門天皇らの綸旨により再興され、現在まで皇室からの厚い崇敬を受ける。近年では、昭和55年(1980年)3月18日に浩宮徳仁親王殿下、平成6年(1994年)2月12日には秋篠宮文仁親王殿下と同妃殿下が参拝した。

『源氏物語』「賢木」の舞台とされ、謡曲「野宮」の題材ともなっており、授与される御守にも、それらをモチーフにしたものが見られる。

鳥居は樹脂加工がされているが、樹皮がついたままのクヌギの原木(徳島県剣山産)を使用した貴重な「黒木の鳥居」であり、日本最古の鳥居形式を伝えているとされる。

また脇に備えられた垣根は、クロモジで作られた小柴垣で、鳥居と共に『源氏物語』作中での風景描写として描かれた往古の潔斎空間の風情を醸し出している。

苔を用い嵐山を表した美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」を始め、モミジ・椿・石楠花・馬酔木等が境内を彩る。

境内社の野宮大黒天は縁結びの神として有名で、大黒天に参詣し、その横の「お亀石」をさすれば願いが叶うと言われ、多くの参拝者の祈願によって美しく黒光りしている。京都のパワースポットの一つ。

清涼寺門前に愛宕神社と共に御旅所があり、拝殿、神輿庫が建つ。5月第3・4日曜に愛宕神社と合同で行われる嵯峨祭の神輿はここを起点に執行される。12月11日-20日には嵐山花灯路として、ライトアップされて夜間拝観が可能。

幸神社福長神社とともに、京都縁結びの三社めぐりが行われることがある。

西院春日神社(京都市右京区)の御旅所に、西院野々宮神社(西院野宮神社)があるが、当社とは別の神社。

【ご利益】
良縁、子宝、学問の神、勝運、芸能上達、安産、商売繁盛、交通安全、財運など(公式HP
野宮神社 - 嵯峨野・竹林の小道にある斎宮ゆかりの清浄の地、良縁・子宝・学問の神
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