越中国一宮・高瀬神社と並ぶ古社、白鳥神社とも 謙信侵攻で神域灰燼
熊野神社(富山県富山市婦中町友坂字熊野山5404)
[住所]富山県富山市婦中町友坂字熊野山5404
[電話]-

熊野神社(くまのじんじゃ)は、富山県富山市婦中町友坂にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』越中国婦負郡にある「熊野神社」「白鳥神社」に比定される式内社(小社)の論社。御祭神は熊野加武呂命

砺波の、越中国一宮である高瀬神社(南砺市高瀬)と並び、当地周辺では最も古い社の一つとされる。

白鳳時代(645年-710年)の末、大宝2年(702年)、山田郷の総社として都の高僧大徳が創建したといわれる。

往古よりの大社として、数多くの社家・社僧が奉仕し、大徳山水源寺が、代々当社の別当職を務めていたという。

いずれの時期かに、日本武尊にちなむ、白鳥神社と名乗っていたとの伝承がある。

出雲民族の氏神の国幣大社である熊野神社(現 熊野大社)の系統であるといわれる。高瀬神社も出雲系の伝承を色濃く残すため、そこも対応する。

平安時代に最も栄え、一の鳥居は下条の四ツ屋、二の鳥居は友坂字竹の花にあって沿道には数多くの石燈籠が並び賑わったという。

しかし戦国期になり、上杉謙信(1530年-1578年)の相次ぐ侵入により、当社はこれに対抗したものの、当社一帯が灰燼に帰し、そのような盛衰を経て今日に至っている。

式内社「白鳥神社」の論社は他に、市内の寺町と八尾町の式内同名神社がある。また、式内社「熊野神社」の論社は他に、宮保中名熊野道の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
身体壮健、厄祓い、家内安全
熊野神社(友坂) - 越中国一宮・高瀬神社と並ぶ古社、白鳥神社とも 謙信侵攻で神域灰燼
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