【日刊】日本の城
名称:福岡城(ふくおかじょう)
別称:舞鶴城、石城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:多聞櫓・二の丸南隅櫓

住所:福岡県福岡市中央区城内1-4
電話:092-732-4801
日本100名城:第85番
  - スタンプ:鴻臚館跡展示館

福岡城(ふくおかじょう)は、筑前国(今の福岡県福岡市)にあった、江戸期には福岡藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

慶長5年(1600年)、黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52万3000石を得て名島城に入城した。

便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵を新城候補地に選定。慶長6年(1601年)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607年)に竣工した。

福岡城は福岡市中央区に位置する梯郭式平山城である。普請奉行は野口佐助一成。城地とされた福崎丘陵(那珂郡警固村福崎)は、博多と那珂川を挟んだ西側にある。

主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及ぶ。大阪以西では最大規模の城郭で、同じ九州の熊本城よりも大きかった。

正保3年(1646年)に作成された福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』には天守は描かれていない。天守については、存在しなかった、それ以前までに幕府への配慮などから取り壊されたなどの諸説が存在する。一部では天守復元の動きがある。

東側に那珂川を以って堀とし、また西側は干潟の「草ヶ江」を大堀として活用した。この大堀は現在、大濠公園として整備されている。

城下町は城の北側(博多湾側)に開かれた。道路を挟んだ東側の城址は桜の名所、舞鶴公園となっている。

築城の際に、福崎を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めている。

現在、城跡には門・櫓が現存し、多聞櫓とそれに続く二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、潮見櫓・大手門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。

また、多聞櫓に続く二の丸北隅櫓が復元されているが、戦後急激に開発が進み、城内、舞鶴公園外には東西を遮る道路、全国でも珍しい城跡にある住宅私有地、公営競技場、裁判所、市立美術館、ありとあらゆる施設が建築され、城郭遺構の破壊は広範囲に及ぶ。

福岡市は2013年、福岡城及び周辺をセントラルパークのように大規模な公園とする計画を発表し、20年から30年の長期計画で福岡城の復元整備などを行っていく予定。

2014年、舞鶴中学校跡地に、公園計画を展示する施設「福岡城・鴻臚館案内処・三の丸スクエア」をオープンさせた。

日本の歴史公園100選に「舞鶴公園」として、美しい日本の歴史的風土100選に「志賀島金印、鴻臚館、元寇防塁、福岡城址、大濠公園」として選ばれている。

キャラクター(ゆるキャラ)は、ふくおか官兵衛くんである。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
福岡城 筑前国(福岡県福岡市) - サムネイル写真
【関連サイト】
福岡城むかし探訪館 

【関連サイト】
水鏡天満宮 - 道真が水面に移る自身のやつれ姿を見て嘆いた地、福岡市の天神の由来