重文の十一面観音像を祀る観音堂の鎮守か、道長も宿泊
山辺御県神社(奈良県天理市西井戸堂町339)
[住所]奈良県天理市西井戸堂町339
[電話]0743-62-0900 - 石上神宮

山辺御県坐神社(やまのべみあがたにいますじんじゃ)は、奈良県天理市西井戸堂町にある神社。井戸堂集落の中央を走る道路の西側にある森の中に鎮座。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「山邊御縣坐神社(大和国・山辺郡)」に比定される式内社(大社)の論社。

読みは「やまべみあがたにいます」「やまのべのみあがたにます」「やまのべのみがたの」などとも。主祭神は建麻利尼命(たけまりねのみこと)。尾張氏系図に「火明命の六世孫」と見える神。

『大和志』などが式内社にあてるが、『大和志料』では別所町の社を式内社に比定する。寛弘4年(1007年)、関白藤原道長が吉野金峯山詣での途中、ここで宿泊、かつては社勢も盛んだった。

境内の観音堂には十一面観音像(重要文化財)が祀られ、神仏習合の姿を明確に今に伝える珍しいたたずまい。当社そのものも観音堂の鎮守としての役割が期待されたともいう。

式内「山辺御縣坐神社」は高市葛木十市志貴、山辺、曾布(添:三碓 | 歌姫)の、大和の六か所の御縣の一つで、それら御縣神社(大和六処御県神社、大和国六御県神社)の一つ。

正倉院文書『大倭国正税帳』によれば、天平2年(730年)に神戸の租稲272束のうち4束が祭紳料に充てられ、『新抄格勅符抄』によれば、大同元年(806年)、大和国に紳封二戸を寄せられる。

『三代実録』では、天安3年(859年)1月27日、従五位上に叙せられたとする。

当社を中心として、西井戸堂町と東井戸堂町にアカタ、吉田町にミクリ、合場町に北田部・南田部、富堂町に三宅の小字が現存し、町名にも田・田井庄・田部などがあり、御縣がこの近辺にあった証左とされる。

井戸堂の地名の起源となったとされる観音堂下の井戸や、境内地や周辺に山辺御井の伝承をもつ井戸があるという。

慶長12年(1607年)の棟札銘や寛政4年(1792年)の石燈籠銘によると、白山大権現と称した時代もあった。

布留社古文書に「白山大権現両井戸堂村」とあり、更に「中社・氏神白山大権現一社 弁才天一社 拝殿一カ所 観音堂一カ所 十一面観音脇立二体 釣鐘堂 行者堂」とあり、かなり古い時代に白山権現が勧請されたという。

そうした盛況が、時の天下人・道長の宿泊地ともなりえたようだ。

境内は、右側(東側)に拝殿(入母屋像・唐破風付・瓦葺)が、その奥、玉垣に囲まれた中に本殿(唐破風付き流造・銅板葺)が鎮座し、その右前に「式内大社山辺御県坐神社」との標柱が立つ。

鳥居を入った参道の正面に観音堂があり、堂の左前に「植福山妙観寺」との石碑が、右前に十三重塔が立つ。また、観音堂の左には鐘楼があり、鐘が吊されている。

境内社に春日神社と厳島神社が祀られている。本殿の左右に小祠二宇が鎮座するが、それが該当するか。

例祭は10月15日。現在、管理は石上神宮が行っているようだ。

【ご利益】
- 山辺御県神社(西井戸堂町) - 重文の十一面観音像を祀る観音堂の鎮守か、道長も宿泊
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