ニニギを奉斎していた式内の古社、大和六処御県神社の一つ、明治期に復祀
葛城御県神社(奈良県葛城市葛木68)
[住所]奈良県葛城市葛木68
[電話]0745ー69ー3910 - 諸鍬神社

葛城御県神社(かつらぎみあがたじんじゃ、葛城御縣神社)は、奈良県葛城市葛木にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「葛木御県神社/葛木御縣神社(大和国・葛下郡)」に比定される式内社(大社)。近代社格では村社。

高市、葛木、十市志貴、山辺(別所 | 西井戸堂)、曾布(添:三碓 | 歌姫)の、大和の六か所の御縣の一つで、それら御縣神社(大和六処御県神社、大和国六御県神社)の一つ。

劔根命(つるぎねのみこと)を主祭神とし、天津日高日子番能瓊瓊杵命を配祀する。ただし、もとの御祭神は天津日高日子番能瓊瓊杵命で、劔根命は明治5年(1872年)に祀られたものである。

劔根命は、『日本書紀』に初代神武天皇の東遷後、論功行賞により葛城国造に任じられたと記される人物。

創建は不詳。元々は現在地より100メートル東に鎮座していた。貞観元年(859年)正月27日に從五位上に進み、『新抄格勅符抄』によれば、大同元年(806年)「葛木御縣神二戸備前」とある。

いつの時代からか境内に八王山西光寺が建立され、後に神社の方は衰えた。正平15年(1360年)に兵火に遭い、同24年(1369年)再建との記録があるという。

慶長6年(1601年)、当地の領主桑山氏は自らの産土神である尾張国海東郡の諸鍬神社を三才山(伝飯豊天皇陵)に勧請し、それに当社を合祀した。

元治元年(1864年)、三才山を飯豊青皇女の墓として修理することとなり、当社を式内社として復祀、諸鍬神社より分離し旧社地に復しようとした。

しかし、その地には西光寺があるため、その西の現在地に遷座した。明治6年(1874年)に村社に列格した。

【ご利益】
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