熊本人吉、相良氏の崇敬を受けた、おくんち祭、球磨神楽など伝える古社
[住所]熊本県人吉市上青井町1180
[電話]0966-22-2274
青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)は、熊本県人吉市にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。地元では親しみを込めて「青井さん」と称されている。参拝すれば、指定されている社殿にちなんで、国宝と墨書された御朱印が頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
御祭神は、建磐龍命(たけいわたつのみこと)とその后神である阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、両神の御子神である国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと)を祀る。この三神は阿蘇三社とも称される、熊本県阿蘇市の阿蘇神社の御祭神十二柱中の三柱である。
大同元年(806年)9月9日に阿蘇神社の神主尾方権助大神惟基が、神託により阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を当地球磨郡青井郷に祀ったのに始まると伝える。
その後、天喜年中(1053年-1058年)に再興され、建久9年(1198年)に領主として藤原(相良)長頼が当地へ下向した際にも再営して自家の氏神として尊崇、神領216石を寄進するなど相良家歴代の篤い崇敬を受け、延徳3年(1491年)の相良為続による社殿造営を始めとする数度の社殿の造営、修造が行われた。
相良氏は八代衆や球磨衆といった衆中と呼ばれる国人層を家臣団として抱え、その衆議を踏まえて領国経営を行ったが、『八代日記』に永禄元年(1558年)2月26日に制定された17箇条の法について、
・同23日に八代郡の八代衆が妙見宮(現 八代神社)で神裁(一味神水)を行った後に条文を球磨へ送ったこと
・同28日には球磨衆が「春井ニ御籠」って神裁をしたことが見え、この「春井」は「青井」の誤写の可能性があること
以上を踏まえて、当社で制定前の衆議や制定後の神裁が行われたものと思われる。相良氏にとっての当社が信仰の対象であるとともに、家臣団を統制する存在でもあったことがわかる。
近世には青井大明神と称され、相良家20代目に当たる長毎(頼房)は文禄の役での朝鮮出兵に際して当社へ戦捷を祈願し、帰国後の慶長2年(1597年)に当社を球磨郡内の神社250余社の総社と定め、同6年に大村内の田地1町1000歩(約4000坪)を寄進、戦捷祈願の報賽として社殿の大造営を行うなど、近世を通じて同氏及び人吉藩による崇敬を受けた。
現存の本殿、廊、幣殿、拝殿の中心的社殿と楼門の計5棟は、人吉藩初代藩主相良長毎とその重臣相良清兵衛の発起により、慶長15年(1610年)から同18年にかけて造営されたもので、国宝に指定されている。
なお、阿蘇神社の分霊社ではあるが、阿蘇神社の大宮司家(阿蘇氏)が南北朝の内乱期や戦国時代に相良氏と対立することが多かったためか、阿蘇神社との関係は薄い。
明治5年(1872年)8月に郷社に列し、昭和10年(1935年)11月県社に昇格した。
夏越の祓である夏越祭は、至徳3年(1386年)に相良家7代の前頼が始め、一時中断した後の天文2年(1533年)に同16代義滋が再興したと伝える。
古来創祀の日である9月9日を例祭としていたが、明治の改暦で現在は10月8日に例祭を行い、9日には神幸式を斎行、それらを中心に同月3日から11日にかけての一連の祭儀を「おくんち祭」と称する祭典を行う。国の重要文化財に指定されている「球磨神楽」などが奉納される。
「青井阿蘇神社とおくんち祭」として、日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~ 日本でもっとも豊かな隠れ里― 人吉球磨 ~」の構成文化財の一つになっている。
【ご利益】
満願成就、縁結び、家内安全

【関連記事】
・社殿が国宝に指定されている神社 - 日本広しといえどもわずかに27社しかない超レア神社
・重要無形民俗文化財「球磨神楽」 - 日本遺産「人吉球磨」、相良氏と青井阿蘇神社を軸に
・日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~ 隠れ里― 人吉球磨 ~」
・熊本県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・熊本県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・熊本県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、熊本県に鎮座している神社の一覧
[電話]0966-22-2274
青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)は、熊本県人吉市にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。地元では親しみを込めて「青井さん」と称されている。参拝すれば、指定されている社殿にちなんで、国宝と墨書された御朱印が頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
御祭神は、建磐龍命(たけいわたつのみこと)とその后神である阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、両神の御子神である国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと)を祀る。この三神は阿蘇三社とも称される、熊本県阿蘇市の阿蘇神社の御祭神十二柱中の三柱である。
大同元年(806年)9月9日に阿蘇神社の神主尾方権助大神惟基が、神託により阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を当地球磨郡青井郷に祀ったのに始まると伝える。
その後、天喜年中(1053年-1058年)に再興され、建久9年(1198年)に領主として藤原(相良)長頼が当地へ下向した際にも再営して自家の氏神として尊崇、神領216石を寄進するなど相良家歴代の篤い崇敬を受け、延徳3年(1491年)の相良為続による社殿造営を始めとする数度の社殿の造営、修造が行われた。
相良氏は八代衆や球磨衆といった衆中と呼ばれる国人層を家臣団として抱え、その衆議を踏まえて領国経営を行ったが、『八代日記』に永禄元年(1558年)2月26日に制定された17箇条の法について、
・同23日に八代郡の八代衆が妙見宮(現 八代神社)で神裁(一味神水)を行った後に条文を球磨へ送ったこと
・同28日には球磨衆が「春井ニ御籠」って神裁をしたことが見え、この「春井」は「青井」の誤写の可能性があること
以上を踏まえて、当社で制定前の衆議や制定後の神裁が行われたものと思われる。相良氏にとっての当社が信仰の対象であるとともに、家臣団を統制する存在でもあったことがわかる。
近世には青井大明神と称され、相良家20代目に当たる長毎(頼房)は文禄の役での朝鮮出兵に際して当社へ戦捷を祈願し、帰国後の慶長2年(1597年)に当社を球磨郡内の神社250余社の総社と定め、同6年に大村内の田地1町1000歩(約4000坪)を寄進、戦捷祈願の報賽として社殿の大造営を行うなど、近世を通じて同氏及び人吉藩による崇敬を受けた。
現存の本殿、廊、幣殿、拝殿の中心的社殿と楼門の計5棟は、人吉藩初代藩主相良長毎とその重臣相良清兵衛の発起により、慶長15年(1610年)から同18年にかけて造営されたもので、国宝に指定されている。
なお、阿蘇神社の分霊社ではあるが、阿蘇神社の大宮司家(阿蘇氏)が南北朝の内乱期や戦国時代に相良氏と対立することが多かったためか、阿蘇神社との関係は薄い。
明治5年(1872年)8月に郷社に列し、昭和10年(1935年)11月県社に昇格した。
夏越の祓である夏越祭は、至徳3年(1386年)に相良家7代の前頼が始め、一時中断した後の天文2年(1533年)に同16代義滋が再興したと伝える。
古来創祀の日である9月9日を例祭としていたが、明治の改暦で現在は10月8日に例祭を行い、9日には神幸式を斎行、それらを中心に同月3日から11日にかけての一連の祭儀を「おくんち祭」と称する祭典を行う。国の重要文化財に指定されている「球磨神楽」などが奉納される。
「青井阿蘇神社とおくんち祭」として、日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~ 日本でもっとも豊かな隠れ里― 人吉球磨 ~」の構成文化財の一つになっている。
【ご利益】
満願成就、縁結び、家内安全

【関連記事】
・社殿が国宝に指定されている神社 - 日本広しといえどもわずかに27社しかない超レア神社
・重要無形民俗文化財「球磨神楽」 - 日本遺産「人吉球磨」、相良氏と青井阿蘇神社を軸に
・日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~ 隠れ里― 人吉球磨 ~」
・熊本県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・熊本県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・熊本県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、熊本県に鎮座している神社の一覧

コメント