鎌倉期造営の国宝の本殿、ロマンティックな菟田野みくまり祭
[住所]奈良県宇陀市菟田野古市場241
[電話]0745-84-2613
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宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「宇太水分神社(大和国・宇陀郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)の論社。
巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「宇陀水分社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。近代社格では県社。
大和国の東西南北に祀られた四水分神社(大和国四所水分社)のうち、東に当たるのが当社(他の三つは都祁水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社)。
芳野川に沿い、宇陀地域には他に二つの水分神社(宇陀水分三社)があり、宇陀市榛原下井足の宇太水分神社を「下社」、同上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、当社を「中社」とも称する。
当社を含めた三社が式内「宇太水分神社」の論社。
御祭神は、国宝の三棟の本殿に、第一殿が天水分神、第二殿が速秋津彦命、第三殿が国水分神。
第10代崇神天皇7年2月、崇神天皇の勅命により創祀。第33代推古天皇19年(610年)、推古天皇が菟田野に薬狩りをした際、薬の井で身を清められたという。大同元年(806年)、神封一戸が奉られる。
平安時代末期、幼少の頃の源頼朝が当社を参拝、大将軍になれるかどうかを占うために、杉を植えさせたという。鎌倉時代の元応2年(1320年)、本殿の三棟(国宝)が建立される。
春日社と興福寺の荘園だったため、室町時代に、境内摂社である春日神社(天児屋根命)が春日大社より勘請される。室町時代中期に春日神社の社殿(重要文化財)が造営された。
室町時代末期、境内摂社の宗像神社(市杵島比売命)の社殿(重要文化財)が造営される。昭和47年(1972年)9月、台風のため半壊するものの、翌年復元。
永正15年(1517年)、一の大鳥居が大洪水のため流失。昭和59年(1984年)に再建される。
永禄元年(1558年)4月、郡司により、第二殿の大規模な修理が行われ、これ以降、各社殿の上部に彩色が施された。
延宝2年(1674年)8月、奉行織田伊豆守家老により修理が行われ、以降、永禄元年(1714年)正月、宝暦12年(1762年)6月、文政2年(1822年)、文政5年(1825年)に社殿の修理が行われた記録が確認できる。
平成15年(2003年)に平成の大造営竣工。本殿保存修理、拝殿屋根葺き替え、社務所新築などを実施。
末社に、恵比須神社(蛭子之大神)、金刀比羅神社(大物主命)がある。
10月第3日曜日が例大祭(本来は10月21日)。菟田野みくまり祭として知られ、その歴史は長く、起源は平安時代にまで遡れるという。
惣社水分神社の速秋津姫命が、夫である当社の速秋津彦命に会うため、神輿にて渡御する。1年に1回、出会いが許される、ロマンティックな祭。
【ご利益】
水の守り神、豊水祈願、交通安全(公式HP)

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『延喜式神名帳』にある「宇太水分神社(大和国・宇陀郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)の論社。
巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「宇陀水分社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。近代社格では県社。
大和国の東西南北に祀られた四水分神社(大和国四所水分社)のうち、東に当たるのが当社(他の三つは都祁水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社)。
芳野川に沿い、宇陀地域には他に二つの水分神社(宇陀水分三社)があり、宇陀市榛原下井足の宇太水分神社を「下社」、同上芳野(うたのかみほうの)の惣社水分神社を「上社」、当社を「中社」とも称する。
当社を含めた三社が式内「宇太水分神社」の論社。
御祭神は、国宝の三棟の本殿に、第一殿が天水分神、第二殿が速秋津彦命、第三殿が国水分神。
第10代崇神天皇7年2月、崇神天皇の勅命により創祀。第33代推古天皇19年(610年)、推古天皇が菟田野に薬狩りをした際、薬の井で身を清められたという。大同元年(806年)、神封一戸が奉られる。
平安時代末期、幼少の頃の源頼朝が当社を参拝、大将軍になれるかどうかを占うために、杉を植えさせたという。鎌倉時代の元応2年(1320年)、本殿の三棟(国宝)が建立される。
春日社と興福寺の荘園だったため、室町時代に、境内摂社である春日神社(天児屋根命)が春日大社より勘請される。室町時代中期に春日神社の社殿(重要文化財)が造営された。
室町時代末期、境内摂社の宗像神社(市杵島比売命)の社殿(重要文化財)が造営される。昭和47年(1972年)9月、台風のため半壊するものの、翌年復元。
永正15年(1517年)、一の大鳥居が大洪水のため流失。昭和59年(1984年)に再建される。
永禄元年(1558年)4月、郡司により、第二殿の大規模な修理が行われ、これ以降、各社殿の上部に彩色が施された。
延宝2年(1674年)8月、奉行織田伊豆守家老により修理が行われ、以降、永禄元年(1714年)正月、宝暦12年(1762年)6月、文政2年(1822年)、文政5年(1825年)に社殿の修理が行われた記録が確認できる。
平成15年(2003年)に平成の大造営竣工。本殿保存修理、拝殿屋根葺き替え、社務所新築などを実施。
末社に、恵比須神社(蛭子之大神)、金刀比羅神社(大物主命)がある。
10月第3日曜日が例大祭(本来は10月21日)。菟田野みくまり祭として知られ、その歴史は長く、起源は平安時代にまで遡れるという。
惣社水分神社の速秋津姫命が、夫である当社の速秋津彦命に会うため、神輿にて渡御する。1年に1回、出会いが許される、ロマンティックな祭。
【ご利益】
水の守り神、豊水祈願、交通安全(公式HP)

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