500年以上もの式年造営棟札が全て現存、国宝に指定される神明造の本殿
[住所]長野県大町市社宮本1159
[電話]0261-62-9168

仁科神明宮(にしなしんめいぐう)は、長野県大町市社宮本にある神社。北安曇郡社村字宮本。近代社格では県社

信濃の国七神明宮の一つで、日本七神明の一つ。信濃安曇神明宮とも。参拝すれば、指定されている本殿にちなんで、「国宝」などと墨書された御朱印を頂ける。

当宮の創祀は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)御領であった仁科御厨鎮護のため勧請されたことによる。御祭神は天照大神

『神宮雑例集』の記事によれば、信濃に初めて神戸が封ぜられたのは後冷泉天皇の永承3年(1048年)12月のことであるから、御厨の建立はそれ以後、当社創建もその後、ということになる。

古族仁科氏が御厨に拠り、400年に渡り、終始その神役にしたがい、また当宮に奉仕して神事が脈々と続いた。創祀以来20年一度の式年造営も滞ることなく、現在にまで続く。

永和2年(1376年)から大正8年(1919年)まで、20年ごとに行われた造替の際の棟札が一枚も欠かすことなく保存されている。寛永13年(1636年)以降は新築ではなく修造となっている。

天正10年(1582年)、仁科氏が滅びてからは、松本藩主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、以後松本藩主代々の祈願所となった。

寛永14年(1637年)からは黒印23石に改められ、かつまた徐地として村内ならびに一之瀬(八坂村) 堀之内(白馬)、借馬、野口(いずれも大町市)などに田畑山林、青木湖一面などを有し松本藩中、最も多くの神領を保って明治維新を迎えた。

仁科66郷の総社として郷土の崇敬深く、明治5年(1872年)に郷社、明治9年(1876年)に府県社、明治26年(1893年)に県社となる。

仁科神明宮2棟(本殿、中門)国宝に指定されている。それらの建築は江戸時代の初期に属しているものでありながら、多分に室町時代の形式と遺香とを示しているのは、寛永13年までの式年造営によって、以前の社殿の形式手法を継承してきたためとされる。神明造の建築物としては、唯一の国宝。

この国宝社殿を裏付ける、500年間にわたる極めて貴重な史料である棟札は、「木造棟札 27枚」として国の重要文化財に指定されている。

太々神楽は、仁科氏時代から伝承されてきたといわれ、剣の舞、岩戸神楽、五行の舞、水継、幣の舞、龍舞神楽、道祖神の七座からなり、9月15日の例祭に奉納される。

古式作始めの神事は、伊勢神宮の折年祭にならって行われる神事で、3月15日に奉納される。いずれも県の無形民俗文化財に指定されている。

「神明宮の大スギ」として、国の天然記念物に指定されていたが、枯死のため指定解除。「仁科神明宮の社叢」として、県の天然記念物に指定されている。

日本七神明は当社の他、芝大神宮朝日神明宮日向大神宮、難波神明宮(露天神社の境内社)、神明宮(金沢市)、出羽湯殿山神明宮(不詳)を言う。

【ご利益】
開運、厄除け、家内安全など
仁科神明宮 - 500年以上もの式年造営棟札が全て現存、国宝に指定される神明造の本殿
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仁科神明宮の御朱印