宮古島のパーントゥ(みやこじのぱーんとぅ)
種別1:風俗慣習
種別2:年中行事
公開日:毎年陰暦9月上旬(島尻)、毎年陰暦12月最後の丑の日(野原)
指定日:1993.12.13(平成5.12.13)
都道府県:沖縄県
所在地:宮古島市島尻と野原
宮古島のパーントゥは、仮面をつけ、草をまとった異形の神が村落内を巡り歩いて災厄払いをするもので、宮古島の旧平良市島尻と旧上野村野原に伝承されている。
パーントゥとは、本来、お化け、鬼神を意味した言葉である。島尻ではこの行事のことをパーントゥ・プナカという。プナカは祈願祭のことであり、パーントゥ神が出現する祭りの意味である。一方、野原では、この行事名をサティパロウ(里払い)ともいい、仮面をつけたパーントゥが登場する。
島尻では、陰暦9月上旬の吉日、野原では陰暦12月の最後の丑の日に行われる。
島尻ではまず悪霊・悪疫払いの行事スマフサラ(ムラを鎖で囲うように注連縄で守る意)が行われる。豚の骨を一片挿した注連縄をムラの数か所の出入口にる。
祭りは、ツカサが2軒のムトゥ(元家)を巡って拝むことから始まる。夕方、村の東のンマリガー(産井)である古井戸に青年が集まり、パーントゥに扮することに決まった3人の全身に蔓草(シイノキカズラ)を巻きつけ、その結束用縄としてスマフサラ行事に張った注連縄を使用する。井戸の底に沈殿した泥を蔓草の上から全身に塗る。
パーントゥが産井で出現するのは、海の彼方の理想郷・ニライカナイに通ずるとする思想が根底にあると考えられている。頭上にマータとよぶすすきを結んだものを1本挿し、片手にダンチク(植物名)でつくった杖、もう一方の手に仮面を持って顔を隠す。
3体のパーントゥは、元島(旧村)の拝所、次に現村落のムトゥと村内の家々を訪れ、人々に泥をつけて行く。新築の家や赤子のいる家では、福をもたらすこととして歓迎される。
2日目も初日と同様にパーントゥが出現し、村落内を駆け巡り、災厄払いの役目を果たして祭りは終了する。
野原では、全戸から主婦と小学校高学年の男子が参加するが、成人男子と少女は行事に参加しない。1人の少年が仮面を被り、その他の少年は、扮装はせず行列に加わる。そのうちの2人が法螺貝を吹き、1人が小太鼓を打って行列の先導をする。その後に婦人が二列縦隊で続く。
行列は大御嶽の近くまで行って礼拝し、そこの広場で円陣をつくって声を出しながら左回りする。四辻でも同様に行い、さらに1年以内に新築した家の周囲を巡って祓い清める儀礼を行う。村の東から西へ行進し、西の村はずれで身にまとった植物の葉を捨てて終了する。
パーントゥは、海の彼方からやってくる神の一つと考えられており、南西諸島にいくつかの事例を見ることができるが、我が国の各地に散見する来訪神と同列に据えて眺める必要があり、比較研究の上からも重要な行事である。
この行事は、昭和57年(1982年)12月21日に宮古のパーントゥとして記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
保護団体名:宮古島市島尻自治会、宮古島市野原部落会
【関連記事】
・利永神社 - 1月15日にめんどん祭、異装の神メンドンがへグロを塗り歩き、無病息災を願う
・沖縄県の重要無形民俗文化財 - 都道府県別に整理
種別1:風俗慣習
種別2:年中行事
公開日:毎年陰暦9月上旬(島尻)、毎年陰暦12月最後の丑の日(野原)
指定日:1993.12.13(平成5.12.13)
都道府県:沖縄県
所在地:宮古島市島尻と野原
宮古島のパーントゥは、仮面をつけ、草をまとった異形の神が村落内を巡り歩いて災厄払いをするもので、宮古島の旧平良市島尻と旧上野村野原に伝承されている。
パーントゥとは、本来、お化け、鬼神を意味した言葉である。島尻ではこの行事のことをパーントゥ・プナカという。プナカは祈願祭のことであり、パーントゥ神が出現する祭りの意味である。一方、野原では、この行事名をサティパロウ(里払い)ともいい、仮面をつけたパーントゥが登場する。
島尻では、陰暦9月上旬の吉日、野原では陰暦12月の最後の丑の日に行われる。
島尻ではまず悪霊・悪疫払いの行事スマフサラ(ムラを鎖で囲うように注連縄で守る意)が行われる。豚の骨を一片挿した注連縄をムラの数か所の出入口にる。
祭りは、ツカサが2軒のムトゥ(元家)を巡って拝むことから始まる。夕方、村の東のンマリガー(産井)である古井戸に青年が集まり、パーントゥに扮することに決まった3人の全身に蔓草(シイノキカズラ)を巻きつけ、その結束用縄としてスマフサラ行事に張った注連縄を使用する。井戸の底に沈殿した泥を蔓草の上から全身に塗る。
パーントゥが産井で出現するのは、海の彼方の理想郷・ニライカナイに通ずるとする思想が根底にあると考えられている。頭上にマータとよぶすすきを結んだものを1本挿し、片手にダンチク(植物名)でつくった杖、もう一方の手に仮面を持って顔を隠す。
3体のパーントゥは、元島(旧村)の拝所、次に現村落のムトゥと村内の家々を訪れ、人々に泥をつけて行く。新築の家や赤子のいる家では、福をもたらすこととして歓迎される。
2日目も初日と同様にパーントゥが出現し、村落内を駆け巡り、災厄払いの役目を果たして祭りは終了する。
野原では、全戸から主婦と小学校高学年の男子が参加するが、成人男子と少女は行事に参加しない。1人の少年が仮面を被り、その他の少年は、扮装はせず行列に加わる。そのうちの2人が法螺貝を吹き、1人が小太鼓を打って行列の先導をする。その後に婦人が二列縦隊で続く。
行列は大御嶽の近くまで行って礼拝し、そこの広場で円陣をつくって声を出しながら左回りする。四辻でも同様に行い、さらに1年以内に新築した家の周囲を巡って祓い清める儀礼を行う。村の東から西へ行進し、西の村はずれで身にまとった植物の葉を捨てて終了する。
パーントゥは、海の彼方からやってくる神の一つと考えられており、南西諸島にいくつかの事例を見ることができるが、我が国の各地に散見する来訪神と同列に据えて眺める必要があり、比較研究の上からも重要な行事である。
この行事は、昭和57年(1982年)12月21日に宮古のパーントゥとして記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
保護団体名:宮古島市島尻自治会、宮古島市野原部落会
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