東郷文弥節人形浄瑠璃(とうごうぶんやぶしにんぎょうじょうるり)
種別1:民俗芸能
種別2:渡来芸・舞台芸
公開日:不定期
指定日:2008.03.13(平成20.03.13)
都道府県:鹿児島県
所在地:薩摩川内市東郷町

東郷文弥節人形浄瑠璃は、義太夫節以前の古浄瑠璃である文弥節の語り、三味線の伴奏により、一人遣い及び二人遣いの人形を操って演じる民俗芸能である。公開は不定期で、地域の催し物などに年に数回上演される。

東郷文弥節人形浄瑠璃が伝承されてきた鹿児島県薩摩川内市東郷町は、鹿児島県の西北に位置し、西流して東シナ海に注ぐ川内川の河口からおよそ15キロほど上流にある。

東郷文弥節人形浄瑠璃は、江戸時代には薩摩藩の半農半士の武士階級である郷士達により伝承されていた。その始まりは、隣接する地区の人形浄瑠璃を習い伝えたとも、17世紀後半に参勤交代の際、江戸あるいは上方から文弥節の師匠を連れ帰ったことによるともいわれている。

東郷文弥節人形浄瑠璃は、江戸時代には秋の収穫のあとに郷士達により農民達の慰労のため、川内川の川原や路上などに舞台を組んで演じられたとされる。近年では、お祝い事や催し物などの地域のイベントに招かれて上演するようになっている。

文弥節とは、延宝・元禄(1673年-1704年)の頃、大坂の伊藤出羽掾座で活躍した太夫の岡本文弥が創始したとされる浄瑠璃で、義太夫節以前の古浄瑠璃の一つである。その感傷的な節付けで泣き節、愁い節ともいわれ、大いに人気を博し、一時は全国に流行したが、18世紀以降は次第に義太夫節に押されて衰退した。

東郷の文弥節は、語りの太夫1名、三味線1名のほか、小太鼓、拍子木が各1名ずつ。太夫の語りは、比較的高音が多く感傷的な節付けで、盛行当時に泣き節、愁い節と称された様子を示している。

三味線は、語りの合間に定型の演奏を入れるほか、小太鼓、拍子木とともに語りに合わせてにぎやかな伴奏を行うダンギといわれる曲節があり、人形が踊るように遣われる。

近年は、ダンギと同様の旋律ながら、たっぷりと情緒的に演奏する部分をイロハと称して区別し、ダンギとともに上演や伝承の際に重視している。

東郷の人形は、15センチ前後の首に衣装を着けたもので、丈はおよそ1メートル程度になる。衣装の背中帯上から左手を入れて遣う差し込み遣いで、左手で人形の胴串を握り、顔を上下させる引き紐を操作し、右手で人形の右手を遣う。

立役の武者人形は、一人遣いで人形の左手はない。女方の人形は左手があり、左手遣いが加わって人形の左手を遣う二人遣いである。人形の操り方は、人形踊りといわれているように、人形と人形遣いが一体となって伴奏に合わせて踊るように遣う。

人形遣いは、姿を現さないように昔は黒い手ぬぐいなどで頬かむりをしていたが、現在では黒衣をきており、なるべく人形の陰に隠れるように人形を遣う。

また、女方の人形の左手遣いは左手で人形の左手を遣うため、中心の人形遣いの後ろに回ることになり、観客の視線から自ずと隠れる仕組みになっている。

東郷文弥節人形浄瑠璃で伝承されている演目は、『源氏烏帽子折』で、現在は初段「卒塔婆引」、二段目「常磐御前雪之段」、三段目「鞍馬下りの段」が上演されている。

舞台は、舞台前面に枠を組み立て腰幕を張り、高さ約120センチの腰幕の上辺が人形の地面となる。人形の出入口は設けず、人形の登退場は腰幕から人形が掲げられて登場し、下げて退場となる。太夫と三味線は、舞台上手の腰幕の奥に腰幕と同じ高さの台を設け、そこに座って演奏する。

文弥節による人形浄瑠璃は、新潟県の「佐渡の人形芝居(文弥人形、説教人形、のろま人形)」、石川県の「尾口のでくまわし」、宮崎県の「山之口の文弥人形」があり、現在東郷を含めて4件が伝承されている。

保護団体名:東郷文弥節人形浄瑠璃保存会
重要無形民俗文化財「東郷文弥節人形浄瑠璃」 - 古浄瑠璃である文弥節の語り、三味線の伴奏
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