早池峰山の西の登山口、南部藩の崇敬厚く要害普請を施される
[住所]岩手県花巻市大迫町内川目1-1
[電話]0198-48-5877

早池峰神社(はやちねじんじゃ、早池峯神社)は、岩手県花巻市大迫町にある神社。御朱印は頂けるが、不在の場合も多く、要事前確認。現在の御祭神は瀬織津比売神(瀬織津姫)。

国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化資産に登録されている「早池峰神楽」が知られている。

平安時代初期の大同2年(807年)、田中兵部・始閣藤蔵の2人が山頂に姫大神を祀ったことに始まる。

鎌倉時代の正安2年(1300年)、越後の住人、阿闍梨円性が天下の霊地であると、この地に留まり、一宇を建立、早池峯大権現と崇め奉った。岳妙泉寺の始まり。池上院妙泉寺とも。

その際、新山宮、仁王堂、山門、寺などが創建された。しかし、戦国時代の文亀元年(1501年)と、永禄3年(1560円)の二度の火災により、多くの堂宇が焼失し、一時衰退。

その後、この地が南部氏領となった安土桃山時代の天正19年(1591年)からは、盛岡城下の東の鎮山として早池峰山に対する崇敬が厚くなった。

江戸時代初期の慶長13年(1609年)、南部利直が当地を巡視した際に当社を参詣、社領150石を寄進し、領内海陸総鎮守として崇敬された。

慶長15年-17年(1610年-1612年)の3年間をかけて、新山堂、薬師堂、本宮、舞殿、客殿などが新築され、周囲には鉄砲狭間、矢狭間をうがった築地塀と櫓門を備えるなど、要害普請がなされた。

要害普請は、岳妙泉寺に領内の安泰祈願としての役割のほかに、盛岡城が危急の時には、宮古へ落ち延びる場合の、一時の隠し砦としての性格を持たされていたためであった。

さらに岳妙泉寺は、盛岡城下に2万8000坪もの広大な面積の宿寺を賜り、京都御室御所仁和寺の直末寺となるなど、領内安全、天下泰平、請願成就の祈願所として、大いに繁栄した。

しかし、明治維新の廃仏毀釈によって廃寺となる。新山堂は現在、当社の本殿となっている。慶長期の堅実な力強い手法が残されているとして、県の有形文化財に指定されている。

当社は、東野三山の一つ、霊峰である早池峰山(1917メートル)山頂にある奥宮に対する里宮。早池峰山への登山口は、東西南北に存在し、四方の登山口それぞれに同名神社がある。

西の登山口…大迫町には、元池上院妙泉寺であった早池峰神社。<当社>
東の登山口…江繋には、元新山堂であった早池峰神社。
北の登山口…門馬には、元新山大権現であった早池峰神社。
南の登山口…遠野には、元持福院妙泉寺であった早池峰神社
早池峰神社(大迫町)の位置
このうち、当社は、南の登山口・遠野の持福院妙泉寺と、江戸期において約90年にわたり、幕府も巻き込んで、どちらが本坊かを争点とした大論争を繰り広げた。

早池峰山頂には二つのお社があり、山開きの時に玉串をあげるのが当社の奥宮、その隣にある石造りのお社が遠野にある早池峰神社の奥宮。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
領内安泰、国家平穏、所願成就
早池峰神社(大迫町) - 早池峰山の西の登山口、南部藩の崇敬厚く要害普請を施される
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