山之口の文弥人形(やまのくちのぶんやにんぎょう)
種別1:民俗芸能
種別2:渡来芸・舞台芸
公開日:山之口麓文弥節 人形浄瑠璃資料館(3・6・9・11月の第3日曜14時から)
指定日:1995.12.26(平成7.12.26)
都道府県:宮崎県
所在地:都城市山之口地区

山之口の文弥人形は、宮崎県都城市山之口地区に伝わる、文弥節浄瑠璃を地とする一人遣いの人形芝居である。

「文弥節」とは、延宝・元禄(1673年-1704年)の頃、大坂の伊藤出羽據座で活躍した太夫「岡本文弥」の創始したとされる浄瑠璃で、義太夫節以前の古浄瑠璃の一つである。

その感傷的な節付けで「泣き節」「愁い節」ともよばれ、『竹豊故事』(宝暦6年(1756年)刊)に「伊藤出羽據座の文弥節は諸国の浦々隅々迄もはやり、遠国辺土の西国巡礼の衆中、京都にては御内裏様、大坂へ来ては出羽據の芝居を見て帰らねば西国したる甲斐もなく、死ては閻魔大王の前にて言訳の無様に有難がつて持賞しける」とあるように、一時は全国に流行したが、18世紀後半以降は次第に義太夫節に押されて衰退した。

近世の山之口は、薩摩藩領の北端に位置しており、藩境警備の番所が置かれて郷士集団がその守備にあたっていた。山之口の文弥人形は、参勤交代の際にこの郷士たちが京・大坂で習い覚えて伝えたと伝承されており、その後も郷士集団およびその後裔により管理・継承されてきたといわれている。

文弥節として伝承されている演目としては、「出世景清」「門出八嶋」の二曲であるが、ほかに「間狂言」とよばれる「太郎の御前迎」「東嶽猪狩」や、「娘手踊」といった間の物も行われる。

このうち間狂言は、山之口の方言で演じられるセリフ滑稽寸劇で、浄瑠璃の間に「のろま人形」とよばれる道化人形を挟んだ、人形芝居の古い興行形態を伝えるものである。

人形は古典的な一人遣い差し込み人形で、人形の背面帯下の穴から両手を差し込み、左手で胴串を握りながら人形の左手を挟み、右手は人形の右手を操作する弓手式の古典的操法であるが、人形の首を頷かせる「ガクガク式」とよばれる特殊な胴串や、人形の手の演技のための工夫を加えるなど、他の古浄瑠璃系人形にはみられない独自の改良がなされている。

以上のように山之口の文弥人形は、人形芝居の古態をうかがう上で芸能史上特に重要な価値を持つものであり、また地域的特色を示すものとしても貴重である。

文弥節による人形浄瑠璃は、他に新潟県の「佐渡の人形芝居(文弥人形、説教人形、のろま人形)」、石川県の「尾口のでくまわし」、鹿児島県の「東郷文弥節人形浄瑠璃」があり、現在本件あわせて計4件が伝承されている。

保護団体名:山之口麓文弥節人形浄瑠璃保存会
重要無形民俗文化財「山之口の文弥人形」 - 地域色、独自の改良なされる人形芝居の古態
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