高原の神舞(たかはるのかんめ)
種別1:民俗芸能
種別2:神楽
公開日:(狭野)毎年12月第1土・日曜日、(祓川)毎年12月第2土・日曜日
指定日:2010.03.11(平成22.03.11)
都道府県:宮崎県
所在地:西諸県郡高原町の狭野地区と祓川地区

高原の神舞は、宮崎県西諸県郡高原町の狭野地区と祓川地区それぞれに伝承される神楽で、地元で神舞と呼ばれる。霧島連山の信仰に関わる神楽である。ともに舞の場所に三本の高い柱を立て、その前を三間(約4.5メートル)四方の広さに注連縄で区画し、舞い手の出入りのために鳥居を設けて、その中で二十数演目を夜を徹して舞う。

仮面を付けて神に扮する舞と仮面を付けない舞がある。神に扮する舞でも演劇的な要素が少なく、面を付けずに剣を持つ舞では、剣の柄を持つだけでなく剣先を握って激しく振り立てる所作など勇壮に舞われる。

狭野では、大正12年(1923年)まで毎年旧暦9月16日から翌朝にかけて行っていたが、その後は11月末から12月初めの土曜になり、昭和52年(1977年)から毎年12月第一土曜日から翌朝にかけて行うようになった。

祓川では昭和30年(1955年)初めまで毎年旧暦11月16日から翌朝に行っていたが、その後は毎年12月第二土曜日から翌朝にかけて行うようになった。

また舞の場所は、狭野では大正12年まで民家の庭で行ったが、その後、狭野地区公民館前の広場や近くの空き地で行い、平成11年(1999年)以降は狭野神社の第二鳥居前の広場で行うようになった。ちなみに雨天時には公民館内で演じることになっている。

祓川では昭和20年代ころまで同様に民家の庭で行い、その後は祓川公民館の庭で行ってきたが、ここ4、5年は天候や準備の都合で公民館内で披露されている。

舞の場所は狭野では舞庭(まいにわ)と呼び、祓川では御講屋(みこうや)と呼ぶ。狭野では、当日の朝から狭野神社の鳥居前の広場に御幣などで飾った高い三本の柱を立て、下部を木の枝で飾る。

その前を注連縄で三間四方に区画し、中にムシロを敷き詰めて舞の場所を設ける。正面奥に神棚を飾り、神棚の反対側に舞い手が出入りする鳥居が立つ。神棚に向かって右手の外側が楽器演奏者の場所になる。

祓川でも同様の舞の場を設ける。祓川では鳥居が四方に立てられ、楽器演奏者の場所は神棚の前にある。楽器はともに鋲留太鼓、篠笛で、狭野は伏鉦(ふせがね)、祓川は手平鉦で、また祓川の太鼓は胴が直径約60センチ、厚みが約20センチの平太鼓で木枠に吊り下げている。両地区とも午後8時ころから舞が始まり、翌朝の7時過ぎまで続く。

高原の神舞は、仮面を付けずに手に剣や御幣を持っての舞や仮面を付けて神に扮しての舞があるが、各演目とも基本的に舞が中心で、途中で静止して神歌を唱える。

演劇的な要素は少なく、たとえば後半に登場する天の磐戸(あまのいわと)神話にちなむ手力雄(たぢからお)神(アメノタヂカラオ)も、扇を持っての舞が主で、演劇的といえるのは、天の岩屋と書かれた紙を貼った板戸を投げる所作だけである。

なお狭野と祓川の演目は、たとえば『地割』『飛出』『高幣』『金山』『長刀』『住吉』『龍蔵』など名称が共通している。また狭野の『踏劔』と祓川の『劔』は名称が違うが、ともに2人の成人の舞い手に、後に1人の児童が加わり左右の成人が持つ剣の先端部を児童が握って舞うというものである。

『神師』と『神随』、『臣下』と『田の神』、『箕舞』と『杵舞』、『手力男』と『太刀』など名称が違っていても、その内容や所作など、ほぼ同じ演目である。

なお祓川の『十二人劔』は、12人の舞い手が、互いに隣の舞い手の剣先を握って大きな輪になり、移動しながらくぐり抜けたりするが、狭野の『花舞』は12人の児童が剣ではなく御幣のついた榊の枝を持って同様の所作をする。

高原の神舞で、剣を持っての舞では、刀の柄を持って舞ったあとに剣先に持ちかえて舞う。ほかの神楽のように刀を持って、ゆるやかに舞うのではなく、剣先を握りしめて振り回すなど勇壮である。

保護団体名:狭野神楽保存会
重要無形民俗文化財「高原の神舞」 - 他に例を見ない、剣先を握り振り回すなど勇壮な神楽
【関連記事】
狭野神社 - 第五代孝昭天皇の時代に、神武天皇生誕の地で創建された、パワースポット
霧島東神社 - 高千穂峰の山頂「天之逆鉾」が社宝、祓川神楽が伝わる崇神朝の創建の古社
宮崎県の重要無形民俗文化財 - 都道府県別に整理