牛天神、頼朝も吉事に授かる、撫で牛を撫でると願い事が叶う!
[住所]東京都文京区春日1-5-2
[電話]03-3812-1862
北野神社(きたのじんじゃ)は、東京都文京区春日にある神社。御祭神は菅原道真。文の京、春日の里に鎮座する、としている。
通称、牛天神。「牛天神北野神社」とも。『江戸名所図会』に記載され、現在は東京の天神さま32社の一社。
参拝すれば、御朱印を頂ける。正月、献梅祭、大輪朝顔市まつり、献菊祭では限定の御朱印が頂ける。境内社の太田神社の御朱印もある。
いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当社は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載されており、記載量だけで言えば、湯島天満宮、亀戸天神社、平河天満宮に次いで多いグループの一角で、極めて有力な天神である。
・東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
・東都七天神(『菅神御一代文章』)
・東都二十五天神(『卯花園漫録』)
・府内天神(『江戸拾葉』)
・菅祠二十五社(『霊神仏之記』
・御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
・東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)
『武陽菅原詣』には「金杉村の牛天神」と出てくる。
通常金杉村は根津近辺を指すものと思われるが、一部に小石川を含むとの見方もあり、牛天神の名称もあって、「金杉村の牛天神」を当社に比定する向きもある。
そうすると、江戸三大天神と同等、すべてに記載された天神、ということになる。
縁起によると、源頼朝が寿永3年(1184年、治承8年・元暦元年)、東征の際にここの入り江の松に船をつなぎ波風が静まるのを待つ間、夢に菅神(道真)が牛に乗って現れ、二つの吉事があると告げた。
武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があった。その後、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができ、神恩を感謝し、ここに社殿を造営した。
また、境内の太田神社は、かつて貧乏神といわれる黒闇天女を祀っていた。小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、
「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける」
とあり、その通りにすると万事よいことづくめで豊かになったという。旗本は神像を彫り牛天神に納めたと伝わる。
境内のなで石(自然石)は、先の通り、頼朝ゆかり。頼朝はここにあった牛に似た石を御神体とし、太宰府天満宮より御魂を勧請したと伝わる。
これが撫で岩の発祥で、牛天神の始まりであり、撫でるとねがいが叶うと言われ、今日なお多くの人々に信仰されている。撫で方は以下の通り。
境内の桜の木は、江戸時代、水戸光圀公が当社に五本の桜の木が奉納されもののうちの一本。現在まで枯れずに、今もなお参拝者に愛でられており、気を放つとされている。また、中島歌子の歌碑がある。
当社の公式サイトでは、「新・天神伝説生まれる。」として、「都心の隠れたパワースポット」「神社の境内に入ると神聖な“気”が充満しています」とPRしている。
正月三が日の初詣は多くの参拝で賑わう。また、当社では出世稲荷神社などを兼務している。
【ご利益】
願いごと全般
【関連記事】
・北野神社「牛天神」、源頼朝創建でも、末社や境外社に古事記ゆかりも - 東京・文京
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[電話]03-3812-1862
北野神社(きたのじんじゃ)は、東京都文京区春日にある神社。御祭神は菅原道真。文の京、春日の里に鎮座する、としている。
通称、牛天神。「牛天神北野神社」とも。『江戸名所図会』に記載され、現在は東京の天神さま32社の一社。
参拝すれば、御朱印を頂ける。正月、献梅祭、大輪朝顔市まつり、献菊祭では限定の御朱印が頂ける。境内社の太田神社の御朱印もある。
いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当社は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載されており、記載量だけで言えば、湯島天満宮、亀戸天神社、平河天満宮に次いで多いグループの一角で、極めて有力な天神である。
・東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
・東都七天神(『菅神御一代文章』)
・東都二十五天神(『卯花園漫録』)
・府内天神(『江戸拾葉』)
・菅祠二十五社(『霊神仏之記』
・御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
・東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)
『武陽菅原詣』には「金杉村の牛天神」と出てくる。
通常金杉村は根津近辺を指すものと思われるが、一部に小石川を含むとの見方もあり、牛天神の名称もあって、「金杉村の牛天神」を当社に比定する向きもある。
そうすると、江戸三大天神と同等、すべてに記載された天神、ということになる。
縁起によると、源頼朝が寿永3年(1184年、治承8年・元暦元年)、東征の際にここの入り江の松に船をつなぎ波風が静まるのを待つ間、夢に菅神(道真)が牛に乗って現れ、二つの吉事があると告げた。
武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があった。その後、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができ、神恩を感謝し、ここに社殿を造営した。
また、境内の太田神社は、かつて貧乏神といわれる黒闇天女を祀っていた。小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、
「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける」
とあり、その通りにすると万事よいことづくめで豊かになったという。旗本は神像を彫り牛天神に納めたと伝わる。
境内のなで石(自然石)は、先の通り、頼朝ゆかり。頼朝はここにあった牛に似た石を御神体とし、太宰府天満宮より御魂を勧請したと伝わる。
これが撫で岩の発祥で、牛天神の始まりであり、撫でるとねがいが叶うと言われ、今日なお多くの人々に信仰されている。撫で方は以下の通り。
先ず願いながら真心を持ってねがい牛の頭の部分を撫でさすり、心に念じつつ何事も唯々誠心誠意純真な気持ちを持って夫々にお願いをしてください。天神様は、聞とどけて下さるでしょう。境内には太田神社のほか、高木神社もある。また、太田神社・高木神社をあわせて、恋結びの里とし、境内には、牛天神としての牛をかたどったもののほか、ハートマークのおみくじ結びどころがある。
遠方よりお越しの方は、ガーゼを境内のお水で濡らし、ねがい牛の口元に触って気を入れ、ビニール袋などに入れて持ち帰り、寝る際に枕の下に入れると、2つの願いが叶うと言われています。(公式HP)
境内の桜の木は、江戸時代、水戸光圀公が当社に五本の桜の木が奉納されもののうちの一本。現在まで枯れずに、今もなお参拝者に愛でられており、気を放つとされている。また、中島歌子の歌碑がある。
当社の公式サイトでは、「新・天神伝説生まれる。」として、「都心の隠れたパワースポット」「神社の境内に入ると神聖な“気”が充満しています」とPRしている。
正月三が日の初詣は多くの参拝で賑わう。また、当社では出世稲荷神社などを兼務している。
【ご利益】
願いごと全般
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