菅原道真の足病を治した大阪きっての「足の守護」、福娘や梅乙女を公募
[住所]大阪府豊中市服部元町1-2-17
[電話]06-6862-5022
服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市服部元町にある神社。少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。
参拝すれば、「足乃守護」などが入った御朱印を頂ける。御守など「足の守護」関連の授受品も多数。
長岡天満宮、松山神社とともに阪急三天神の一社。阪急電鉄では、沿線の長岡天満宮(阪急長岡天神駅徒歩10分)、松山神社(阪急相川駅徒歩10分)、当社(阪急服部駅すぐ)とともに三天神めぐりを行っている。
この阪急三天神では、第一社で「携帯用朱印帳」、第二社で「合格鉛筆」、最後の神社で「合格祈願鉢巻」が授与される。
三社は合同で「梅乙女」の名称で、祭礼などに奉仕する巫女を募集している。
創建時期は不詳だが、帰化人集団である秦氏が第19代允恭天皇の御世に織部司に任じられ、当地を服部連の本拠とした際、少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。この頃はまだ、小さな祠だったという。
延暦2年(783年)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、当地で病没。祠の近くに葬られた。「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る。
約100年後の延喜元年(901年)、菅原道真が魚名と同様、大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。
そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。
菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも道真を合祀することとなり、新たに堂宇が建立された。この頃から現社号と呼ばれるようになり、道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受け、現在に至る。
近世に入ると、当地が能勢街道の宿場町だったこともあって徐々に門前市を成すようになり、中でも江戸時代後期の文化年間(1804年-1817年)、文政年間(1818年-1829年)には殷賑を極めたという。
足の守護祈願大祭が8月25日午前10時より行われる。祭典の後、参列者全員に宮司が特大金幣を授け、神職が形代を以って参列者の足を摩る。「足の神様」としての当社の面目躍如たる祭礼と言える。
大阪近辺の夏祭りとしては最後に当たり、24日、25日の夕方からは夜店も並び、「摂州だんじり(地車)囃子」などの奉納がある。
その櫓の周囲には人だかりが幾重にもでき、子供、若衆、そして名物の長老のだんじり踊りや、若衆の太鼓の華麗なバチさばきに大きな拍手・歓声が起こる。
例祭(秋祭)は10月25日。神幸式(神輿巡行)はその前後の日曜日に行われ、本神輿・ギャル神輿・子供神輿や稚児行列が氏子区内を練り歩く。
豊中えびす祭は、境内社である豊中えびす神社の祭。昭和26年(1951年)から平成14年(2002年)までは「服部えびす祭」の名で斎行されていたが、平成15年(2003年)に「豊中えびす祭」と改称。
1月9日-11日に行われ、35万人の参拝者で大変な賑わいを見せる。いわゆる十日戎である。
十日戎で奉仕を希望する福娘は公募で選ばれている。毎年600-700名の応募があり、第1次審査の書類選考を通過した者の中から、第2次審査の面接選考を経て約25名が選出される。
平成9年(1997年)には初めて外国人が選ばれ、母国の各メディアで報道されるなど話題となった。
初天神祭が1月25日に斎行される。祭典、お火焚き神事、湯立神事が行われ、その後、大根炊きのふるまいがある。
豊中えびす神社(蛭子大神)の他、境内社には、初酉稲荷神社(宇迦之御魂神)、十二支稲荷社(昭和52年(1977年)、伏見稲荷大社より勧請)がある。
【ご利益】
足の守護、安産、厄除、交通安全、足病平癒、家内安全、必勝祈願など(公式HP)
【関連記事】
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[電話]06-6862-5022
服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市服部元町にある神社。少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。
参拝すれば、「足乃守護」などが入った御朱印を頂ける。御守など「足の守護」関連の授受品も多数。
長岡天満宮、松山神社とともに阪急三天神の一社。阪急電鉄では、沿線の長岡天満宮(阪急長岡天神駅徒歩10分)、松山神社(阪急相川駅徒歩10分)、当社(阪急服部駅すぐ)とともに三天神めぐりを行っている。
この阪急三天神では、第一社で「携帯用朱印帳」、第二社で「合格鉛筆」、最後の神社で「合格祈願鉢巻」が授与される。
三社は合同で「梅乙女」の名称で、祭礼などに奉仕する巫女を募集している。
創建時期は不詳だが、帰化人集団である秦氏が第19代允恭天皇の御世に織部司に任じられ、当地を服部連の本拠とした際、少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。この頃はまだ、小さな祠だったという。
延暦2年(783年)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、当地で病没。祠の近くに葬られた。「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る。
約100年後の延喜元年(901年)、菅原道真が魚名と同様、大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。
そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。
菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも道真を合祀することとなり、新たに堂宇が建立された。この頃から現社号と呼ばれるようになり、道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受け、現在に至る。
近世に入ると、当地が能勢街道の宿場町だったこともあって徐々に門前市を成すようになり、中でも江戸時代後期の文化年間(1804年-1817年)、文政年間(1818年-1829年)には殷賑を極めたという。
足の守護祈願大祭が8月25日午前10時より行われる。祭典の後、参列者全員に宮司が特大金幣を授け、神職が形代を以って参列者の足を摩る。「足の神様」としての当社の面目躍如たる祭礼と言える。
大阪近辺の夏祭りとしては最後に当たり、24日、25日の夕方からは夜店も並び、「摂州だんじり(地車)囃子」などの奉納がある。
その櫓の周囲には人だかりが幾重にもでき、子供、若衆、そして名物の長老のだんじり踊りや、若衆の太鼓の華麗なバチさばきに大きな拍手・歓声が起こる。
例祭(秋祭)は10月25日。神幸式(神輿巡行)はその前後の日曜日に行われ、本神輿・ギャル神輿・子供神輿や稚児行列が氏子区内を練り歩く。
豊中えびす祭は、境内社である豊中えびす神社の祭。昭和26年(1951年)から平成14年(2002年)までは「服部えびす祭」の名で斎行されていたが、平成15年(2003年)に「豊中えびす祭」と改称。
1月9日-11日に行われ、35万人の参拝者で大変な賑わいを見せる。いわゆる十日戎である。
十日戎で奉仕を希望する福娘は公募で選ばれている。毎年600-700名の応募があり、第1次審査の書類選考を通過した者の中から、第2次審査の面接選考を経て約25名が選出される。
平成9年(1997年)には初めて外国人が選ばれ、母国の各メディアで報道されるなど話題となった。
初天神祭が1月25日に斎行される。祭典、お火焚き神事、湯立神事が行われ、その後、大根炊きのふるまいがある。
豊中えびす神社(蛭子大神)の他、境内社には、初酉稲荷神社(宇迦之御魂神)、十二支稲荷社(昭和52年(1977年)、伏見稲荷大社より勧請)がある。
【ご利益】
足の守護、安産、厄除、交通安全、足病平癒、家内安全、必勝祈願など(公式HP)
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