横浜北部の総鎮守、「神威顕著」サッカー日本代表の公式エンブレムの御守
[住所]神奈川県横浜市港北区師岡町1137
[電話]045-531-0150

師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)は、神奈川県横浜市港北区師岡町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、「神威顕著」などとある御朱印を頂ける。

横浜北部の総鎮守とされ、正月三が日の初詣は長蛇の行列ができる。

和歌山県の熊野三山熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社)の御祭神と一体で、伊邪那美尊、事解之男命(熊野権現)、速玉之男命を祀る。

奈良時代初期の神亀元年(724年)、僧・全寿が空から降って来た熊野大権現の神札を当地の梛の大木のうろに納め祀ったと伝えられる。

平安時代前期の仁和元年(885年)7月、光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が下向し、「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わって以来、宇多天皇、醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。

明治元年(1868年)、神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され、明治3年(1870年)には県社に列したが、氏子の陳情があって、明治6年(1873年)、33ヶ村の郷社に列した。

降格陳情は全くないわけではないが、珍しい。県を代表する神社に認められることよりも、氏地密着の神社を目指したものか。氏子地域33ヶ村は、以下の通り。

師岡、獅子ケ谷、駒岡、上末吉、下末吉、馬場、北寺尾、生麦、鶴見、東寺尾、西寺尾、東子安、西子安、白幡、東神奈川、西神奈川、六角橋、三枚橋、片倉、神大寺、羽沢、下菅田、岸根、鳥山、小机、篠原、菊名、大豆戸、太尾、大曾根、樽、南綱島、北綱島。

綱島諏訪神社・太尾神社・大曽根八幡神社・樽町杉山神社末吉神社駒岡神明社・獅子ヶ谷上神明社・獅子ヶ谷下神明社・久末天照大神野川神明社の各社の管理を行っている。野川神明社には常駐の神職がいる。

本殿は、権現造杮葺で、正徳2年(1712年)の建築。附属する熊野郷土博物館は社宝、考古資料、民俗資料、刀剣、古文書等 約2000点を所蔵する。参観には予約が必要。

境内地は約4800坪(1万6000平米)。境内の樹林はアカガシを主体とした暖帯林の自然植生をよくとどめており、「師岡熊野神社の社叢林」として県指定天然記念物になっている。

門前に弁財天を祀る「い」の池、裏山に神事に使う「の」の池があり、現在は埋められ大曽根第二公園となった「ち」の池と合わせて「いのち」の池と呼ばれていた。

1月14日には天暦3年(949年)から続く筒粥神事がある。横浜市の無形民俗文化財に指定されている。2月初午の日は初午祭、6月30日が夏の大祓、そして、例祭は8月24日。

社紋は三足烏であり、当社では「八咫烏(やたがらす)」と明記、「人生の導きの神 足の守護神」としている。

三つ足烏は、日本サッカー協会のシンボルマークでもあるため、近年当社はサッカー神社としても親しまれ、サッカー日本代表の公式エンブレムのついた日本サッカー協会公認のお守りや絵馬が販売されている。

なお、青梅市東青梅に師岡神社という、当社と同じ熊野神社系の別の神社がある。時折混同されるが、当社の方が有名なため、「師岡神社」のウェブ検索結果は大体当社がヒットする。

【ご利益】
人生の導きの神 足の守護神
師岡熊野神社 - 横浜北部の総鎮守、「神威顕著」サッカー日本代表の公式エンブレムの御守
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