ともに徳川秀忠の産土神、将軍家の崇敬厚い子守り、子育ての神
[住所]静岡県浜松市中区利町302-5
[電話]053-452-3001

五社神社・諏訪神社(ごしゃじんじゃ・すわじんじゃ)は、静岡県浜松市中区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960年)に法人格を一つとして発足した。神社本庁の別表神社全国東照宮連合会に加盟している。

五社神社は、太玉命武雷命斎主命天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とする。この五柱の御祭神が社名の由来。

もともとは太玉命を祀っていたところに、春日大社・春日神社の系列である四柱を勧請合祀して現在の形のようになったと考えられている。

相殿に応神天皇、徳川家康を祀るほか、菅原道真大鷦鷯尊稲倉魂命大日女命素戔嗚命を合祀している。

戦国時代初期の曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのに始まるという。

築城されたのがおそらく、永正年間(1504年-1520年)とされることから考えれば、16世紀前半に相当する。曳馬城の築城者は不明だが、その候補の一人が久野越中守とされる。

後に徳川家康が浜松城主になり、天正7年(1579年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立、天正8年(1580年)7月に遷座、社領15石を寄進した。

慶長15年(1610年)に秀忠から100石が寄進された。寛永11年(1634年)の家光上洛の際、東照宮(徳川家康)を勧請し、200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することとなった。

下記諏訪神社もこの時、同じ待遇を受けた。明治6年(1873年)に県社に列格した。

諏訪神社は、建御名方命、八坂刀売命、事代主命を主祭神とし、相殿に徳川家康を祀る。

延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の際、敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まる。

幾度かの変遷を経て、弘治2年(1556年)に神託により浜松に遷され、五社神社と同じく徳川家の崇敬を受けた。

両社ともかつての社殿は寛永18年(1641年)に家光の命で再建されたもので、五社神社は大正3年(1914年)に特別保護建造物に、諏訪神社は昭和13年(1938年)に国宝保存法に基づく国宝に指定された(いずれも現行法の重要文化財に相当)。

しかし昭和20年(1945年)6月18日の浜松空襲によりともに全焼した。

現社殿は昭和57年(1982年)に竣工し、一社殿内に両社の御祭神を奉斎している。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、現在でも子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めている。

境内には、賀茂真渕が幼少の頃、師と仰いだ五社神社神主・森暉昌の功績を記した顕彰碑である明和4年(1762年)建立の光海霊神碑がある。境内社に祖霊社や稲荷社がある。

正月三が日は特に初詣客などで大変な賑わいとなる。

神話的に言えば、春日神(アメノコヤネが主体だが、フツヌシとタケミカヅチ)と諏訪神(タケミナカタを主体として、コトシロヌシも)は仇敵の関係になり、同座しているのは珍しい形かもしれない。

【ご利益】
安産、子守り、子育て、厄除・八方除、交通安全など(公式HP
五社神社・諏訪神社 - ともに徳川秀忠の産土神、将軍家の崇敬厚い子守り、子育ての神
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