花園大学考古学研究会 頑張ってます!!(藤井岡古墳発掘調査開始)
5世紀初頭の中規模古墳である藤井岡古墳(福井県三方上中郡若狭町藤井)で、大和政権が抱えていた工人(職人)の技術が確認できる甲冑をまとった埴輪の一部が見つかりました。調査を行った花園大学(京都市)の考古学研究室などが発表しています。若狭地域が古墳時代から重要視されていたことを示す証拠、と。2015年8月29日に現地説明会が行われます。画像は花園大学の考古学研究室の発掘調査の模様(出典:花園大学)。

藤井岡古墳は直径約23メートル、高さ約4メートルの円墳。2013年に調査を行い、形状や装飾の状況を詳しく調べるため同大文学部の高橋克壽教授(考古学)の研究室などが2015年8月6日から発掘調査を行っています。

花園大学 発掘日誌」ではその状況を詳しく説明していますので、興味のある方は必見です。

産経新聞では、「古代若狭が大和政権と関連か」と報じていますが、これはむしろ当たり前のような気がします。若狭といえば、応神天皇建内宿禰氣比神宮。『古事記』にも明記されています。

簡潔な『古事記』にここまではっきりと示されている若狭。当時からの密接なつながりは推して知るべし。しかし、それでも当時の大和と若狭のつながりを知る上では、やはり貴重な発見。日本遺産海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」にもリンクします。

調査は8月30日までで、前日の29日に現地説明会が行われます。若狭町民向けが午前10時から、一般向けが午前11時から。問い合わせは若狭町歴史文化課、電話:0770-62-2711まで。

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