【日刊】日本の城
名称:岩国城(いわくにじょう)
別称:横山城

史跡:-
国宝:-
重文:-

住所:山口県岩国市横山3丁目
電話:0827-41-1477
日本100名城:第74番
  - スタンプ:岩国城受付窓口

岩国城(いわくにじょう)は、周防国(今の山口県岩国市)にあった日本の城。山城。築城年は慶長6年(1601年)で、廃城年は元和元年(1615年)。天守の築造年は1608年(複合式望楼型4重6階、非現存)、1962年にRC造復興。主な築城者は吉川広家。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に削減され、広島城から萩城に移封となった。同時に一族であり毛利家存続に注力(結果的に毛利氏は領土を大幅に削減された)した吉川広家も米子城から当地に3万石で封じられた。

慶長5年10月には家臣団が、慶長6年(1601年)には広家がこの地に赴任。広家赴任と同時に岩国城の築城が開始された。麓に平時の居館となる「土居」と、戦時の城「横山城」が横山山上に築かれた。

築城には8年の歳月が費やされ、まず翌慶長7年(1602年)に土居が完成した。土居完成とほぼ同時期に横山城の築城が開始され、慶長13年(1608年)に竣工した。本丸には4重6階の唐造りの天守が建造された。

しかし、完成からわずか7年後の元和元年(1615年)に幕府の一国一城令により横山城が破却され廃城となった。これは、周防国にはこの岩国城のみが存在していたが、長府藩の毛利秀元が居城の櫛崎城を破却したことに合わせざるを得なかったことによる。

その後、麓の土居は岩国領の陣屋として、また慶応4年(1868年)の立藩後はその陣屋として、明治維新まで存続した。

岩国領は本藩である長州藩より長期にわたって独立した支藩として認められず、陪臣として扱われた。明治維新の年、慶応4年に漸く独立の藩として認められ諸侯に列したが、明治4年(1871年)には廃藩置県によって廃藩とされたため、正式に独立した藩の藩庁として機能した時期はわずかだった。

1885年(明治18年)、居館「土居」跡が吉香公園となり、堀端に絵馬堂である錦雲閣が旧藩時代の櫓を模して建造され、現存している。また、藩政時代の建造物として寛政年間(1789年-1800年)に建てられた昌明館(七代当主経倫の隠居所)の長屋が現存している。

1962年(昭和37年)3月21日、本丸南側に「天守構造図」という絵図を元に鉄筋コンクリート構造によって復興天守が建てられた。設計は、藤岡通夫(東京工業大学教授)による。本来の天守台は約30メートル離れた本丸北側にあったが、麓からの見栄えを重視して建設された。

現在見られる、本来の天守台は平成7年(1995年)に発掘復元された。山上には、他に石垣や堀の遺構がある。 "

日本の歴史公園100選に「吉香公園」として、美しい日本の歴史的風土100選に「吉川家城下町と錦帯橋」として選ばれている。
岩国城 周防国(山口県岩国市) - サムネイル写真
【関連サイト】
岩国城 | 岩国観光振興課-岩国 旅の架け橋