別府明礬温泉の湯の花製造技術(べっぷみょうばんおんせんのゆのはなせいぞうぎじゅつ)
種別1:民俗技術
種別2:生産・生業
公開日:-
指定日:2006.03.15(平成18.03.15)
都道府県:大分県
所在地:別府市明礬

別府明礬温泉の湯の花製造技術は、大分県別府市の明礬温泉で江戸時代より行われている湯の花製造の技術である。

この技術は、湯の花小屋という製造施設をつくり、その内部で噴気と青粘土を利用して湯の花の結晶を作り出す技術であり、製品である湯の花は薬として利用されたり、入浴剤として利用されてきた。

明礬温泉は、別府市の西部に位置し、別府市野田および別府市鶴見を合わせた地域の通称で、江戸時代にはここで湯の花に灰汁を加えて煮て精製した明礬も製造されていたことからこの名がある。

明礬の製造は、寛文4年(1664年)に渡辺五郎右衛門によって始められたといわれ、その製品は「豊後明礬」と呼ばれ、染色、止血、皮なめし、顔料などに広く利用され、全国一の生産量を誇った。

湯の花も享保年間(1716年-1736年)には製造されていたといわれ、明治以降、安価な中国産に押されて明礬が製造されなくなると、湯の花の製造のみが続けられてきた。

湯の花の製造工程は、湯の花小屋づくりと小屋の内部で湯の花を結晶化させる作業に大きく分けられる。さらに湯の花小屋づくりは、小屋床の製作と屋根の製作に、湯の花を結晶化させる作業は、青粘土の敷きつめと噴気の調節と湯の花のかきとりに分けることができる。

これらの作業に要する人数は特に決まっていないが、湯の花小屋づくりは数人で行う場合が多く、湯の花の結晶を作り出す作業は1人で行うこともある。

明礬温泉一帯は、地熱地帯で地下30センチのところに温水脈があり、随所に温泉の蒸気である噴気が勢いよく噴き出している。小屋床は、まず、噴気が比較的強く出ている噴気孔を探して、その近辺一帯60平米ほどをスコップや木槌を使って平らに固めて基礎とする。

次に噴気孔から小屋床まで鉄管を延ばして噴気を取り入れる。この鉄管の途中には噴気が抜ける穴をつけておき、取り込む噴気の量を調節できるようにしておく。次に小屋床に縦横に溝を掘って噴気道をつけ、噴気がまんべんなく行き渡るようにする。

噴気道の先には排出用の鉄管を設置し、ここでも噴気の排出量を調節できるようにする。さらに小屋床の表面に噴気が一定の強さで噴き出すように栗石と呼ばれる小石を敷き詰める。最後に小屋床一面に藁を敷きつめて、その上に土を敷いて木槌などで叩いて固める。

屋根は、まず、小屋床の周囲に柱台となる石を配置し、その上に柱を立て切妻屋根の形につくり、藁や茅で葺く。屋根の高さは高いところで4メートルほどである。

こうして完成した湯の花小屋の内部は、小屋床から噴気が一定の強さでまんべんなく噴き出し、内部の温湿度も常時一定に保つことができるようになっており、また雨風を防ぐこともできることから、湯の花の結晶ができやすい環境になっている。

湯の花小屋が完成すると、明礬温泉周辺の山から採取したギチと呼ばれる青粘土を小屋床一面に20センチほどの厚さに敷き固める。すると、10日前後で硫酸塩の結晶、すなわち湯の花が青粘土の表面に発生する。

最初に発生した湯の花は不純物が多く含まれていることから、かきとらずに木槌などで固める。さらに30日前後して再び湯の花が発生すると、不純物などが少ない白い部分だけを選んで左官用の鏝や木の棒などでかきとる。

かきとった湯の花は通気性のよい叺に入れて保管する。不純物を含む赤や黄色の部分は再び固めたり、除去したりする。

今日、全国各地の温泉地でみられる湯の花は、ほとんどが温泉の沈殿物を採取するか、自然に化石化したものを削り取ったものであるが、この技術は、湯の花小屋という特殊な製造施設を建設し、その内部で自噴する噴気と青粘土を巧みに利用して結晶を作り出すという全国でも類を見ないものであり、わが国の温泉利用の一形態を知る上でも重要である。

保護団体名:明礬温泉湯の花製造技術保存会
重要無形民俗文化財「別府明礬温泉の湯の花製造技術」 - 製造施設から建設する独自技術
【関連記事】
ものづくり大国ニッポンの原風景 - 国の重要無形民俗文化財に指定された全国の民俗技術
火男火売神社 - 火の神・男女2柱、鶴見岳山頂・中腹・山麓の三宮からなる別府温泉の守り神
大分県の重要無形民俗文化財 - 都道府県別に整理