【日刊】日本の城
名称:津山城(つやまじょう)
別称:鶴山城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:岡山県津山市山下
電話:0868-23-2111
日本100名城:第67番
  - スタンプ:津山城備中櫓受付

津山城(つやまじょう)は、美作国(今の岡山県津山市)にあった、江戸期には津山藩の藩庁などにも機能した日本の城である。日本三大平山城の一つ。

築城年は嘉吉年間(1441年-1444年)で、廃城年は明治6年(1873年)。天守は独立式層塔型4重5階(非現存)。主な築城者は山名忠政で、主な改修者は森忠政である。

嘉吉年間、美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初である。しかし応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城となる。

1603年(慶長8年)、森忠政が18万6000石で入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる津山城の築城に着手。また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。

1616年(元和2年)、13年の歳月をかけ完成。天守、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ近世城郭となった。

1697年(元禄10年)、森家断絶。安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなる。翌1698年(元禄11年)、松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで越前家が城主となる。

1809年(文化6年)、火災により本丸御殿焼失。

1873年(明治6年)、廃城令により大蔵省管理となり競売され、1874年-1875年(明治7年-明治8年)にかけて、天守・櫓などの建物が悉く破却される。

天守は破風を持たない4重5階地下1階の層塔型天守で、南側に六番門(櫓門)を付属させる複合式平面の天守であるが、天守へは東側の穴蔵入り口から出入りする構造であった。

天守台の高さは約3間、穴蔵の高さは11尺5寸、天守建物の全高は約23メートル。平面規模は初重、梁間10間(65尺)、桁行11間(71尺5寸)であった。

1900年(明治33年)、城跡は町有化され鶴山公園となる。以後、津山町の管理下のもと保存整備され、桜の木が多数植えられる。1905年(明治38年)、三の丸に藩校の修道館を移築し、「鶴山館」と改称する。

1936年(昭和11年)、姫津線全通記念産業振興大博覧会(3月26日から5月5日まで開催)で模擬天守が建てられる。しかし、その後、終戦直前に空襲の標的になることを恐れ解体される。

2013年(平成25年)、天守台に創建当時の天守外観を模した2分の1規模の模擬施設を期間限定で設置した。

日本さくら名所100選に「鶴山公園」として、日本の歴史公園100選に「鶴山公園」として選ばれている。
津山城 美作国(岡山県津山市) - サムネイル写真
【関連サイト】
津山城(鶴山公園) - 津山市観光協会