下崎山のヘトマト行事(しもざきやまのへとまとぎょうじ)
種別1:風俗慣習
種別2:年中行事
公開日:毎年1月16日
指定日:1987.01.08(昭和62.01.08)
都道府県:長崎県
所在地:白浜神社(五島市下崎山町)など

我が国には、年頭において粥の炊け具合や豆の焼け方などにより作柄や天候を占ったり、あるいは綱引き、玉の奪い合いなどにより豊凶を占ったりして生業の発展、除災招福を祈願する趣旨の行事が広く分布していたが、その多くは社会状況、生業基盤の変化などの事情により、形骸化したり消滅しつつある。

この行事は、長崎県五島市下崎山町の白浜神社などで行われるもので、その呼称由来は定かでないものの、『崎山村郷土誌』(大正7年)に記載があり、古老たちの口承によれば明治20年代まで遡ることができる。

現在では、当日までに使用する大草履、小草履、玉を作り、大通寺で御祈願してもらってきた御幣などを準備し、町民が役割分担して参加する除災招福的内容の濃厚なものである。

この行事は、エンマゴヘイ(閻魔御幣)と呼ばれる御幣を捧持するハタモチ(旗持ち)の巡行から始まり、ハゴイタツキ(羽根突き)、タマゲリ(玉蹴り)、綱引きが順次なされる。

ハゴイタツキに先がけ、氏神白浜神社境内で青壮年男子によってなされる相撲は、行事の前座の意味があるものの、従来、正月14日に行われていたのが、昭和30年頃から、この日に統合されたものである。

ハタモチ巡行に加わるのは、御幣を捧持する役を代々務める家の当主と町内会長(郷長)、隣保班長(組頭)である。鉦を打ち鳴らしながら大草履などを安置してある白浜海岸に近い町の辻まで行き、御幣を大草履の台先に立てる。

これが、合図となり、その辻で新嫁2人が各々の樽の上にあがり向き合い羽根突きをする。続いて、白浜海岸に出た青壮年男子が、若者組と壮年組とに分かれて玉の奪い合いを展開する。

往時はワッカモン(若者組所属者たち)が大里地区と白浜地区とに分かれて激しく対抗し、玉を奪って背後に広がる麦畑を駈け廻ったと伝えられ、それを海中に投げ入れて一段落する(現在は、家屋が密集し、麦畑を駈け廻れない)。

次いで、晒の褌に手拭をつけた男たちは、2組に分かれ、路上で3度綱引きを場所を交替して行い、終了後、全員で大草履などを担ぎ、山の神神社に奉納する。途中、娘たちをつかまえその上に乗せて胴上げなども行われる。

この行事は、神仏に加護をもとめて生業の発展・除災招福を祈願するもので、ハゴイタツキ・タマゲリ・綱引きなどに宮相撲などが数多くあり、御幣の捧持役が世襲化であったり、ワッカモンにより行われるなど由来・内容等が典型的なものであり重要である。

この行事は昭和53年(1978年)1月31日にヘトマトとして記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。

保護団体名:下崎山町内会
重要無形民俗文化財「下崎山のヘトマト行事」 - 近代から活性化してきた五島の年頭行事
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