呼子の大綱引き(よぶこのおおつなひき)
種別1:風俗慣習
種別2:娯楽・競技
公開日:毎年6月第1土曜日とその翌日の日曜日
指定日:2013.03.12(平成25.03.12)
都道府県:佐賀県
所在地:唐津市呼子町

呼子の大綱引きは、佐賀県北西部の玄界灘に面する唐津市の呼子町に伝承される綱引き行事である。古くは旧暦五月節供に行われていたが、昭和49年以来6月第1土曜日とその翌日の日曜日に行われるようになった。

呼子町は平成17年1月に同じ東松浦郡の6町村とともに唐津市と合併した。唐津市になるまでは東松浦郡呼子町であった。

綱引きは、サキカタ(浜組ともいう)とウラカタ(岡組ともいう)の2つに分かれて呼子町の中心部の路上で行われる。綱引きは3回行われ、その勝敗によって漁と農作物の豊凶が占われる。先に2回勝った方が勝ちとされ、サキカタが勝つと豊漁、ウラカタが勝つと豊作になるといわれており年占の性格を持っていることがうかがわれる。

綱引きの始まりについては、地元ではいくつかの伝説が語り継がれている。よく知られているのが豊臣秀吉の唐入りにまつわる伝説で、「昔太閤秀吉が、名護屋城在陣の際に将兵や町民の士気を鼓舞するため、将兵に軍船のとも綱を引かせたことに由来する」というもの。

この伝承はいくつかの異なるものが伝えられており、その一つは「名護屋在陣中、軍船のイカリ綱を使って将兵の娯楽として始めた」と将兵の慰安のために始めたというもので、さらに「名護屋城駐留のみぎり旅情をなぐさめてはじまった」と住民が秀吉の慰撫を目的として始めたというものもある。

大綱引きは、サキカタとウラカタに分かれて行われ、サキカタは呼子町の先方町、海士町、釣町、小倉町、中町、宮ノ町の六地区、ウラカタが天満町、松浦町、川端町、愛宕町、殿ノ浦岡・殿ノ浦西・殿ノ浦浜がひとつにまとまった殿ノ浦の5地区あわせて11地区によって行われる。

大綱引きの前にはワッカシ(若衆)と呼ばれる成年男子によって準備が行われる。ワッカシは学校を卒業してから40歳ぐらいまでの男性をいうが、近年は人口減少もあり50歳ぐらいまで参加する人もいる。ワッカシはまた大綱引きの中心となる引き手でもある。

大綱引きの日の午前中には呼子町内の各地区をそれぞれの地区のワッカシが銅鑼を叩きながら回って歩き、家々を訪問して酒や料理、つまみなどの接待を受け、お礼としてジャと呼ばれる竹の棒の先端に色紙や色布をつけたものを配ったりする。これを町廻りと称し、家々を訪問しながらミトのある三神社の鳥居の前に集まってくる。

大綱引きの会場に着くとワッカシは大綱に枝綱を結びつける作業を行うなどして大綱引きの開始に備える。それらの準備を進めている間に正午頃になると初節供を迎える子どもを連れた親たちが集まってきて、子供をミトにのせてお祓いをうける行事が行われる。

この行事がすむと大綱引きが行われる。三神社前に置かれたミトを中心に両側にサキカタとウラカタにわかれて銅鑼で囃したてながら綱引きが始まる。サキカタとウラカタのそれぞれの人数は同人数でなくてもよいとされ、人数を数えることも行われない。

片方の人数が多くても大綱引きはそのまま行われることになっている。勝敗の決定は大綱引き終了時のミトの位置で判断するが、ミトが一方に大きく引かれてしまった時にはその時点で勝敗が決することになっている。

本件は、5月5日の節供に当たって行われる、漁と農作物の豊凶を占い、初節供を迎える子供の無事成長を祈願して行われる菖蒲綱と呼ばれる綱引き行事であり、九州地方には他に現存する類似の行事の存在が知られていない行事である。

保護団体名:呼子大綱引振興会
重要無形民俗文化財「呼子の大綱引き」 - 豊臣秀吉の唐入りにまつわる起源伝承
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