【日刊】日本の城
名称:篠山城(ささやまじょう)
別称:桐ヶ城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:兵庫県篠山市北新町2-3
日本100名城:第57番
  - スタンプ:大書院館内

篠山城(ささやまじょう)は、丹波国(今の兵庫県篠山市)にあった、江戸期には篠山藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

慶長14年(1609年)、徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。

これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的だった。

篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。

明和3年(1766年)には藩校「振徳堂」が建設され、以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えた。

城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400メートルのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。

二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。

築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられている。

三の丸内に上級武士、外堀沿いに中級・下級武士、外堀南に足軽長屋、街道沿いに町や社寺が配置された。

三の丸は現在三の丸広場になっておりデカンショ祭や篠山ABCマラソンのスタート・ゴール地点などの催し物にも使用されている。

外堀沿いには桜が約1000本、植えられている。これは大正4年(1915年)、篠山町青年会が大正天皇即位を記念して東堀に植樹したことに始まる。

1944年1月6日夜焼失した大書院が、篠山市民の願いと寄付によって2000年4月再建された。篠山城の大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では京都二条城の二の丸御殿に匹敵する。"

美しい日本の歴史的風土100選に「城下町篠山の街並み」として選ばれている。日本遺産丹波篠山 デカンショ節 -民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」の構成文化財の一つ。
篠山城 丹波国(兵庫県篠山市) - サムネイル写真
【関連サイト】
史跡篠山城跡大書院 - 篠山市

【関連記事】
日本遺産「丹波篠山 デカンショ節 -民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」(篠山市)
高山神社(津市) - 明治創建、津城址に鎮座、安濃津藩祖で築城の名人・藤堂高虎を祀る